気仙沼・旭が丘学園 訪問記
気仙沼・旭が丘学園 訪問記 井上 貴夫
東京神田RCでは、昨年の東日本大震災以降、クラブとしての被災地支援事業として一回だけでは終わらない支援先を探しておりましたが、出来れば次世代を担う青少年のためになる先が良いと言うことで、今回それに合致する先として気仙沼の児童養護施設「旭が丘学園」を選定し、今後3年間に渡り支援することを決めました。
その初年度、「旭が丘学園のクリスマス子ども会」に招待され、12月23日(日)、交換留学生のエマ、ホストファミリー:藤井幹事のお母様、事務局の小池さんと一緒に、小池さんの弟さんの岩手県立黒沢尻北高等学校・教諭鈴木勝博様にご案内いただき参加して参りました。
一ノ関より陸前高田と気仙沼の被災地を見て廻ったあと、到着した学園では菅原雅理事長、菅原昭法人事務局長そして小原善博園長にお出迎え頂き、午後2時より2時間弱 学芸会を拝見しました。園長先生のご挨拶の中にて当クラブからの支援金の贈呈式を行い、その後エマから入園生へのお菓子の贈呈をしてもらいました。この会の模様は気仙沼ケーブルテレビが収録をしておりまして私がインタビューを受けました。この施設には、1969年以来12回も天皇陛下からの御下賜金が下賜されており、3歳から18歳までの入園生は皆明るくすばらしかったです。学園自体は高台にあり、津波の被害は受けませんでしたが、園児は学校まで3km歩いて通っているそうです。
来年以降も継続支援する先ですので、気仙沼に行く機会のある方は是非旭が丘学園を訪問して見ていただければと思います。最後に、今回のお話しを進めて下さった。鈴木(一)社会奉仕委員長と新職業奉仕委員長に御礼申し上げます。ありがとうございました。
エマ・ロサ・ブレッド・ソーサ(青少年交換留学生)
昨年12月23日、東北大震災の被災地の気仙沼を訪問しました。東北の地震と津波の爪痕がどうなっているのか全く想像がつきませんでした。私の住んでいるアメリカのボストンでは大きな地震は決して起きないからです。テレビや本からは少しは理解していましたが、実際に津波による影響がこれほどのものかと、想像以上に驚かされました。周囲一面何もない景色でした。これが津波によって受けた被害の結果であると教えてもらいました。ここにあった街は全て流されてしまったという事実に大変驚愕しました。しばらく行くと、今度は壊れたビルが見えました。何もない景色とは一変、今度は直接被害を受けた建物の光景を見て。これはもはや建物としての機能をまったくなくした空っぽの貝殻のようでした。今でもその時に見た光景の恐ろしさを思い出します。私の生涯でこんな恐ろしい体験は初めてであると同時に、こんな思いはしたくないものだと感じました。
今もなお東北の被害者の皆様にお見舞いと同情の念を抱きます。彼らにはまだまだ十分な支援が与えられるべきです。アメリカに帰国したら私の関係するロータリアンに、この惨状を少しでも理解してもらい、何らかの支援のお願いを約束したいと思います。
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