2009年10月28日 (水)

「神宮式年遷宮」

10月15日卓話要旨
財団法人霞会館理事長 北白川 道久氏 (香取純一会員紹介)
神宮は昔から伊勢神宮として親しまれており、今も年間700万人の参拝者をお迎えしています。境内には内宮と外宮を中心に大小120のお宮があり、内宮は2000年前から皇室のご祖先である天照大神を、また外宮には天照大神にお食事を差し上げる豊受大御神をおまつりしています。神宮式年遷宮は、20年ごとに西から東へ、東から西へ、社殿はじめ一切を造り替えるもので、1300年前から行われています。次期の式年遷宮は4年後の2013年で、現在準備が進められています。
 正殿の建築様式は、本格的な稲作文化が定着した弥生時代の高床式穀倉にルーツを持つと言われています。萱葺き屋根の総ヒノキ造りで、礎石は使わず柱は直接地中に埋められています。遷宮の制度化については、神様にいつも正常なお宮に鎮座していただき、若々しい力を発揮していただく「常若」という神道特有の考え方によるのか、社殿が尊厳な姿を保つには20年が限度だからか、あるいは伝統的な技術を次の世代に継承するには20年が最適であるためか、諸説あります。
 歴史を誇る神宮ですが、国宝級の建物やお宝はさほどありません。社殿は取り壊されますし、神宝装束類も遷宮のたびに新しくなるので、ハードは常に新しく、それを作り上げるソフトは古いというパラドックスが生じているのが神宮なのです。
 1回の遷宮には、太さ50cm・長さ4mのヒノキを1万本以上使います。神宮はそれらを原木のまま調達し、小工(こだくみ)と呼ばれる大工集団が製材の段階からすべてを担っています。用材は8万点にもなり、木の癖を見抜きながら効率良く部材を取る作業は特に熟練を要します。前回の遷宮はすべての作業が終わるまでに10年を要しました。木工はピーク時には60人以上になりますが、遷宮が終わると15人程度に減ります。
 神宝は神様がお使いになる道具類で、文具、武具、馬具、紡績具、楽器などがあります。装束には身にまとう物以外に社殿を飾る調度品も含まれるので、神宝と合わせると715種約1600点となります。いずれも平安時代に書かれた神宮の諸催事を記した儀式帳の規定に沿って、その時代最高の職人や美術工芸家によって再現されますが、製作者の創作性は一切許されません。江戸時代までは日常的に使われていた技法であっても、今は人材や素材の確保が難しくなってきたため、人間国宝クラスの技術を持った人たちに作っていただいています。
 「ヒノキの耐用年数は200~300年なのに、20年ごとに貴重な材を使うのは資源の浪費である」という批判もありますが、古い社殿は1年後には解体されて神宮内で再利用されるほか、全国の神社の造営・修繕や、記念品などに再利用されています。例えば両宮の正殿に使われている棟持柱は12mほどの立派な木材ですが、これは宇治橋にある大鳥居に使われます。さらに20年後は桑名宿の渡し跡にある鳥居に使われ、その後全国の神社で使われるのが通例となっています。また、使うだけではいけないということで、神宮も80年ほど前から伊勢市内に所有している山林でヒノキを植林しています。今回の遷宮では、全用材の20%をこの植林地の間伐材で賄うことになっています。将来的には半永久的に用材の自給が可能になるでしょう。このように、神宮では遷宮の継続と自然の保護・再生という、対立した課題の双方を満足させる営みを続けているわけです。
 式年遷宮の費用は、20回目までは神宮に所属する領地から集められた神税で賄われ、11世紀末からは全国すべての土地に課された役夫工米が使われました。戦国時代には130年間中断されましたが、信長、秀吉、家康の支援で復活し、その後は徳川幕府が資金を出しています。明治維新後終戦までは国費が使われましたが、戦後宗教法人「神宮」となってからは、すべてを浄財で賄っています。遷宮は、今でも天皇陛下のご発意に従って行い、遷宮に関する重要な日程等は天皇にお定めいただいていますが、今回必要な550億円のうち、330億円は神宮が捻出し、残りの220億円については奉賛会を中心に広く浄財をお願いしていますので、宮内庁や国から出していただいているわけではありません。
 遷宮は莫大な労力と資金を要する一大プロジェクトですが、そこには日本人独特の発想と信仰の姿があったと考えられます。遷宮というシステムがなければ、途絶えてしまっていたであろう日本人が生み出した巧みで高度な技術が、狂うことなく伝承されてよみがえっていくのですから、遷宮はまさに世界に誇るべき文化遺産であると言ってよいでしょう。

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「めがね面白ゼミナール」

10月8日卓話要旨
HOYA株式会社ビジョンケアカンパニー 三井 義秋氏(石澤長一郎会員紹介)
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人は五感の中で情報の80%を視覚から得ているそうですから、「めがね」は私たちにとって大切な存在です。その割には上手な扱い方や選び方については、あまり知られていないように思います。例えば、「めがねを平らな面に置いたら、ガタついている。左右アンバランスになっているので、調整しなければならないのではないか。」とおっしゃる人がいますが、人によっては左右の耳の高さが違いますから、めがねを掛けたときに正面から見て真直ぐに保つために調整していますので平らな面に置けばガタついて当たり前です。まためがねは鼻と両耳で固定するように設計されていますから、必要以上にずらして使う所謂鼻めがねは本来の効果が得られません。ハーフアイという小さいレンズ形状の老眼鏡もありますからそれをお使いになると良いと思います。
取り扱い上の注意としては、まず、めがねは両手で外すということです。特に近くだけを見る老眼鏡は、掛け外しの頻度が高いですから片手での掛け外しを繰り返していますとフレームにねじれが生じて左右の眼と左右のレンズ位置との距離に狂いが生じてしまいます。また、長年使用しているうちにフレームを折りたたむ所にあるビスがゆるんできますので、その時は販売店に行きビスを締めて頂くと同時に掛け具合も調整して頂くと良いでしょう。 
レンズの素材には、プラスティックやガラスなどがあります。日本の場合、ガラスの需要は減少し約95%はプラスティック素材のレンズです。めがねは、「重いより軽い方軽が良い」・「色が付けやすい」・「割れにくい」といった理由でプラスティックが好まれ普及しています。アメリカではFDA規格(日本のJIS規格に該当)があって、ガラスレンズもある条件下で割れてはいけないことのなっているため、割れないようにレンズを薬品に浸けて化学強化しています。日本の市場のガラスレンズと違いレンズの厚みも厚くなっています。
プラスティックレンズは柔らかいので傷が付きやすいと思われているかもしれませんが、素材の両面に傷防止のためのコートをすることによってかなり改善されています。但し、傷防止コートがしてあってもめがねを拭くとき,必ずめがね専用のめがね拭きを使ってください。それから外出などをしますとレンズの表面にはチリやほこり等が付いています。一度水洗いしてティッシュで水滴を押し拭きしてから専用めがね拭きで拭きませんと、却ってレンズを傷つけしまう結果になります。また、レンズの反射を防ぐために傷防止コートの上に反射防止コートをしています。反射防止コートをしているかの見分け方は、白色の蛍光灯をレンズ面に映すとグリーン色系の蛍光灯の反射像が観察できます。このグリーン色系の反射像が反射防止コートをしているレンズとなります。
めがねの目的は、①治療用(調節性内斜視など)②視力補正用(近視・遠視・乱視・老視など)③ファッション用(似合うめがね)④保護用(紫外線カットなど)の4つに大別できます。ライフサイクルによって、使われるめがねも違ってきますが、どうせ使うなら格好よく使って頂きたいものです。一般的に、めがね枠の下部分の枠と掛ける人の鼻の下端との距離が1cm以上離なれているとめがねは似合って見えます。つまり、縦幅の狭い小さめのフレームは、一般的にどなたが掛けても似合ってみえます。めがねをお作りになるときの参考の一つにしてください。
今は使っておられない方でも、この先一度はめがねのお世話になることでしょう。良く「私は近視だから、老眼鏡は要らない。」とめがねを外しながら近くを見ている方がおられますが、これも老視の症状なのです。そのうちに掛け外しが煩わしくということで、遠近両用のめがねを使われるようになります。人間の目の水晶体は、近くを見るときに膨らみますが、加齢と共に硬化し膨らまなくなってきますので、近くが見にくくなります。膨らまない部分に相当する凸レンズを入れて補ってあげるのが老眼鏡です。本日ご出席頂いている皆様の年齢から推察しますと皆様方に該当する老眼鏡は、遠近両用タイプ・室内用タイプ・近近タイプの3種類あります。使用する環境によって一本でなく複数のめがねを使い分けることによって、さらに快適な視生活を過ごすことができます。
眼鏡店にはレンズの種類を決定する前にそれぞれのテストレンズがありますので、装用体験して決めて頂いたらと思います。めがね作りには使用環境や不自由な点や見え方の希望等の話を眼鏡店との双方向のコミュニケーションを持ってお話頂ければきっとご自分に合っためがねが出来上がることでしょう。従って、めがねが決まるまで1時間位の時間がかかると思って、余裕を持ってお出掛けください。

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「元米山奨学生の近況報告」

10月1日卓話要旨
元米山奨学生 康(こう) 基(き)成(せい)氏(酒井邦男会員紹介)
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私は1977年に中国で生まれました。大学を卒業後、2002年3月に日本に来て、2年間日本語の学校に通った後、明治大学大学院で学び、2007年に卒業しました。その間、2006年4月から2007年3月までは、ロータリークラブから米山奨学金を頂いたことで安心して勉強ができ、皆様には本当に心から感謝しています。
 中国の大学では英語を専攻していたので、日本に来た当初はあまり上手に日本語を話せませんでした。従って、税関を通るときも、区役所で登録証を作るときも英語で手続きをしました。中国では、大学を卒業してから半年ほど物流会社に勤務して、通訳や営業の仕事をしていましたが、海外に留学するのであれば、若いうちに出なければならないという中国の事情から、仕事を半年で辞めて日本に来ることを決めました。明治大学大学院を卒業してからは、前会員の竹上さんがいらっしゃった旧サンミック(現在は日本紙通商)に入社して、現在に至っています。
 日本紙通商は紙屋ですが、私は新素材部という部署に所属しており、主にフィルムの営業をしています。ほとんどのフィルムは液晶の最表面に来ている材料で、日本が独占している市場です。他にもいろいろなフィルムがあって、包装材もあればバンドエイドに使われるものもあります。国内の営業もあるので、電話のかけ方は一から勉強しましたし、メールも先輩の文章をコピーさせてもらい、修正して使いました。その甲斐あって、今では少し自信を持って仕事ができるようになりました。また、語学力を生かして海外との営業も行っています。一つご紹介すると、皆さんが日ごろよく使っておられるバンドエイドにも弊社のフィルムが使われています。日本で作ったフィルムを中国の上海に持っていき、そこで加工して日本やオーストラリア、アメリカに送ります。現在薬局の店頭に並んでいるバンドエイドは、ほとんど私が売ったフィルムから作られた商品です。液晶関連では中国、台湾、韓国をメーンに、市場調査や営業を行っています。今は世界同時不況の影響で機会があまりありませんが、2008年にはアメリカで行われた展示会で通訳を務めたり、市場調査をしたりしました。
 奨学生のときには、例会の他にローターアクトやインターアクトや年末の家族会などに参加させていただきました。東京清瀬ロータリークラブには年に数回伺って、芋煮会や芋掘りのお手伝いをしていましたが、今でも毎年参加して楽しんでいます。我々奨学生は、卒業後自動的に学友会に所属することになり、私は現在オブザーバーとして総会準備や行事のお手伝いをしています。また、学友会の理事会では今後より多くの奨学生を学友会に誘い、定期的に集まり、OB同士の交流を深め、学生時代にお世話になりましたロータリークラブの活動に参加するためにはどうすれば良いかの 議論も行っております。私たち米山のOBは、皆様への恩返しの気持ちから、国際交流や世界平和のために少しでも力になればと思って尽力していますので、今後もご指導のほどよろしくお願いします。
池原郁夫地区米山奨学委員会元委員長
康さんと初めてお会いしたのは、2年半ほど前です。たまたま私ども神田ロータリークラブの竹上会員と河内山会員がおられる会社に入社されましたが、彼自身はお二人と神田クラブの関係をご存じなかったようで、名刺を頂いたときに社名を見て、こちらが驚いた次第です。
 現在米山奨学生のOBで日本に残って連絡の取れる人は800名ほどで、就職されたり教育関係に入られたりしておられます。3分の2はドクターを取るために大学関係に残っていらっしゃるので、康さんのようにビジネスマンとして活躍されている方は少数です。
 米山のOB(学友会)は東京を中心に活動しています。米山の地区委員長は自動的に学友会の理事に就任することになっているので、私も2カ月に一度理事会に参加しています。次の世代を育てるために、康さんの他、数人を推薦して、理事の見習いをやってもらっているところです。皆さんには、日本にいる米山の元奨学生からの相談を受けたり、交流のお手伝いを引き受けてもらっています。奨学生がロータリークラブ内でお手伝いをするときには、学友会から派遣してもらっていますし、米山月間の時には、東京の学友会の皆さんが各クラブを訪問してスピーチをしてくださっていて、昨年いらっしゃったロビンソンさんも、現在学友会で理事長を務めていらっしゃいます。来年は、康さんも理事に就任することになっているので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

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「HIV/エイズの現状について」

9月17日卓話要旨
松田 静治会員(財団法人性の健康医学財団理事長)

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 「性感染症という言葉にはなじみがない」とおっしゃる方がほとんどではないかと思いますが、日本では10年前から法律上は性病という言葉がなくなり、替わりに性感染症という言葉が使われるようになりました。
 東京都では2年前から性感染症の英訳として、STD(Sexually Transmitted Disease=性的交渉によりうつし、うつされる病気)からHIV/エイズを念頭に、STI(Sexually Transmitted Infections=性的交渉によりうつし、うつされる疾患)の名称を広報活動に使っています。この理由は、東京が全国でHIV/エイズの発生が最も多い都市であるし、発見後早急の治療が必要だからです。
 現在では、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)感染は性感染症に分類されていますが、日本のHIVは薬害エイズから出発しており、1985年に初めて性感染症による患者が報告されました。HIVは感染しても最初のうちは全く症状がありませんが、10年ほどするとエイズの症状が現れます。具体的には肺炎、結核、皮膚の病気といったものですが、いずれもあまり自覚しないうちに状態が悪くなるのが特徴です。
 感染経路としては、血液と精液と膣の分泌物があると言われています。特に男性間同性愛の場合は、肛門を使うために出血することが多く、非常に感染しやすいのです。また、ウィルスは精液に移行するので、感染経路としては男性から女性にうつす方が多くなっています。日本では、2005年までに発生した患者1万人のうち、6600人が男性同性愛者でしたし、2008年の統計でも、患者の7割は男性同性愛者ですし、彼らは結束力が強く、インテリが多いのです。患者の数は毎年約1,000人(HIV陽性600人、エイズ300人)ずつ増えていますが、2000年以降は同性愛者の数が急増しているので、その分患者数も増えているのだと思います。以前は日本でも、輸血や注射針による感染や母子感染がありましたが、最近は非常に少なくなっています。
 年代別に見ると、30代以上は圧倒的に男性が多いのですが、若年層では逆に女性が増えています。特に20代の女性にHIV陽性の人が少しずつ増えていますから、10年後には女性のエイズ患者は間違いなく増えるでしょう。地域別には、東京が突出していて、関東甲信越が続いています。
 世界には4,500万人のHIV/エイズ患者がいます。最も多いのはアフリカで、これまでに既に2,000万人以上が亡くなりました。最近は、インドや東南アジア、南アジア、中国で患者の数が増えてきており、第2のピークを迎えるのではないかと言われています。そんな中で最も危険なのが中国の現状です。個々の省からは発表されていても、国としてはっきりした実態調査は出していないのです。今は日本と中国の間の往来が自由になっているので、日本にどれだけ流れ込んでくるか、大変心配しています。
 日本では、薬害エイズのイメージが今でも強いですが、薬害エイズが新たに起こることはまずありません。現在は性感染症から発生しているものがほとんどですから、まずはエイズ=薬害エイズという構図から脱却して、エイズが性感染症として広がっていることを理解していただきたいと思います。性感染症についてダーティなイメージを持っておられるかもしれませんが、今は性生活を営む人であれば、誰にでも起こり得る当たり前の病気になっています。叱られるかもしれませんが、「一種の生活習慣病のようなもの」と表現することができます。そんなにポピュラーになった性感染症が、エイズの入口になっているというのですから、恐ろしい話です。例えばほとんどの方は「クラミジア程度で命を落とすことはない」と思っておられるかもしれませんが、「クラミジアの影にエイズがあり、エイズの横にクラミジアがある」と言われているほどですから、決して油断はできません。HIVに感染すると、リンパ球がどんどん食べられてしまうので、リンパ球の数が激減して免疫力が低下します。免疫力が低下していると、性感染症を持っている人はエイズになりやすいですし、HIV/エイズになっている人は性感染症になりやすくなります。すなわちこれら二つの疾患は、互いに相関しているということです。
 このようなことを知った上で、皆様にはHIVやエイズについて、正しく理解していただきたいと思います。

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2009年10月 2日 (金)

「江戸に学ぶ環境問題」

9月10日卓話要旨
財団法人德川記念財団理事長
財団法人世界自然保護基金ジャパン会長 德川 恒孝氏

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 徳川家康については好き嫌いが分かれるところですが、彼がつくった江戸幕府が265年もの間平和を保つことができたのは、彼の功績と考えてよいと思います。最初の100年間でインフラ整備が行われましたが、平和で戦争がなかったために、経済・文化や町づくりにお金を投じることができたのです。ちなみに、秀吉公が朝鮮に攻め入っていた頃は、米の収穫量の70%を税として納めさせる七公三民でしたが、江戸に入って100年ぐらいで三公七民まで下がりました。その結果、日本の人口は1200万人から3000万人に増え、江戸の町も人口100万人の世界最大の都市に成長しました。戦争がないというのは、そういうことなのです。
 江戸時代の文化や経済が花開いたのは元禄のことですが、その後1720~1730年頃になると、経済は成長を止めてしまいます。これは、日本という国が持っている資源や作り出せる農産物の量が限界に達したからです。そこに8代将軍として登場したのが、皆さんもよくご存じの徳川吉宗です。吉宗は、歴代将軍の中でも、家康や秀忠と同じく現場を知っている数少ない将軍の一人ですが、そんな彼が将軍になって最初に行ったのが人口調査でした。その結果、3000万人という数字が出たわけですが、当時は幼児の死亡率が非常に高く、これには7才未満の子供は含まれていません。また、吉宗は野菜や麦、炭、絹織物、木材などについても調べています。生きていくために必要な資源の量と人口とのバランスに着目したのです。
 そして調査の結果、ぎりぎりのところまで来ていることが分かると、限られた中で生きていくための政策を次々と打ち出しました。川の水は絶対に汚さない、森林の管理をきっちり行う、獣を殺さないといったことを守らせる一方で、捨てるもののないリサイクル社会を確立したのです。糞尿、床屋の床に落ちた髪の毛、木切れ、ろうそくの燃えかす、紙、生ゴミなどは、すべて買い取られて再利用されており、特に紙は貴重品でしたから、国家機密を書いたものであっても、再利用していました。彼らは当たり前のこととしてそれらのことをやっていたのです。
 今は、環境問題が声高に叫ばれていますが、温度を下げればそれでよいというわけではありません。私が大学に入った当時、世界の人口は30億人でした。それが大阪万博の時に40億人になり、現在は66億人で、2050年には90億人になると言われています。30億人が60億人になるまでは、グリーン革命と呼ばれている農業の革命によって、何事もなく食料の供給量を増やすことができました。グリーン革命というのは、具体的に申し上げると、植物の品種改良を含む遺伝子操作とケミカルによる害虫の排除のことを言います。これが驚くほど進化したため、ここ20~30年の間に、おじいさんやおばあさんだけの所帯でも米づくりができるようになりました。ところが、最近になってその呼び戻しが世界中で起こって問題になっています。今まで見たことのないほど強い雑草が生えてきたり、見たことがないほど強力な虫が出てきたりと、大変なことになっているのです。その他にも、受粉を助けてくれていたミツバチが世界中から消えつつあるなど、今農業の世界ではいろいろなことが起こってきていますが、これらの呼び戻しは、人間がおごり高ぶりすぎて、自然のバランスを壊してきたために起こったと言われています。
 水の問題も深刻です。日本では、冬に降った雪が暖かくなって解けてくるので、年間を通じて豊富な水を得ることができていますが、地球の温暖化によって雪が雨になったら、そうはいきません。保水能力には限界がありますから、降った雨は一気に川に流れ込むでしょうし、雨が降らない時期には水が不足するので、農業は壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。豊かな水に恵まれた日本でもそんな状況ですから、将来的には水をめぐって世界中で争いが起こる可能性があります。
 またエネルギーについてですが、我々がこのまま石炭や石油を燃やし続ければ、生態系が大きく壊れてしまい大変なことになります。もはや「北極のシロクマがかわいそうだから」と言っている次元ではありません。先の話だからうまく逃げ切れるだろうと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、まずは次の世代のために何ができるのかを考え、できることから始めていただきますよう、心からお願い申し上げます。

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「最近の倒産動向と今後の見通し」

9月3日卓話要旨
株式会社帝国データバンク東京支社 情報部部長 江口 一樹氏

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  今回の総選挙は民主党の圧勝に終わりました。民主党は、4年後に公共事業関係費を1.3兆円削減すると言っていますが、これは年率に直すと5%で、これ自体は大した額ではありません。それより私が問題視しているのは各家庭に給付される子供手当です。配偶者控除がなくなることで、負担増になる家庭が多く、個人消費がさらに冷え込むのではないかと案じています。
 倒産件数は2005年春を底に増加傾向にあり、それが昨年のリーマンショックで一気に噴出しました。昨年度倒産した上場企業は45社で、1年前に比べると倍増しています。今年のお正月明け辺りは、「大手メーカーが倒産する」という話がたくさん飛び交っていて、それが収まったのは3月ぐらいのことです。これは、政府が大手企業向けに行った資金繰り対策が功を奏した結果だと言ってよいでしょう。
 中小企業に関しても、昨年11月に出た緊急保証制度によって倒産件数は減るだろうと考えられていましたが、予想は外れて14カ月連続前年同月比で増えています。実は、10年前にも特別保証制度という同様の制度があり、そのときは倒産件数が減りましたが、単純な金融危機で、実態経済はそんなに悪くなかった前回に対して、今回は実体経済そのものが悪くて受注そのものがないために、資金繰り対策を少し講じただけでは意味をなさないのです。つまり今回は、仕事がないので、お金を借りる必要がないということです。
 今後の見通しとしては、上場企業にはそれほど大きな破たんは起こらないと思われます。ちなみに戦後倒産した製造業の企業で、負債規模が大きかったのは都築紡績、新潟鉄工所、三田工業です。最大の都築紡績の負債総額は2400億円でしたが、これは全業種で見ると50位以内に入っていません。社員数や債権者数が多い製造業は、倒産による影響が大きいので、あまり倒産させないのです。今後も製造業では大型の倒産は起こらないだろうと言われています。しかし、緊急保証制度の効果が限定的であったために、下手をすると年末にかけて、中小企業の倒産件数は一段増になるかもしれません。また年度後半には、不況時の倒産で最後に来る小売・サービス業の状態が気になります。
 今回の世界同時不況では、各国が競って財政出動をしましたが、そろそろその化けの皮がはがれてくる頃です。もともとの原因は、アメリカのサブプライム問題にあるのですから、アメリカの住宅価格値が底打ちしない限り、本当に世界の経済が回復するのは難しいでしょう。ある人は、「2012年までは無理だろう」と言っていますが、「2012年には大統領選挙があるので、米国政府はそれに向けてさまざまな経済対策を打ってくるから」というのがその理由です。いずれにしても今後最も懸念されるのは、長期金利の上昇です。860兆円の長期債務を抱えた今、民主党政権がばらまき政策を打とうとしても、国債の未払いだけで精いっぱいになるでしょうし、財政制約の中で、どれだけのことができるのかは疑問です。企業にとっても、長期金利の上昇はクラウディングアウト現象が起こる可能性が出てきます。これらを考えると、少し悲観的かもしれませんが、経済危機は来年いっぱい続き、二番底が来る可能性があります。
 さて、我々は歴史の教科書で「世界恐慌は1929年10月24日暗黒の木曜日から始まった」と習いましたが、それは米国内の話で、本当は1931年5月にオーストリア最大の銀行クレジット・アンシュタルトが破たんしたときからです。そこから学ぶと、今回も怖いのはヨーロッパです。既にアイスランドやリトアニアでは国の財政が破たんしていますが、これが東ヨーロッパに広がっていく可能性もあり得ますから、そういうことも頭の隅に置いておかれたほうがよいでしょう。
 私は経営者の方に、「倒産しないために、鳥の目、虫の目、魚の目を持とう」とよく申し上げています。すなわち経営には、マクロ、ミクロに物事を見るだけではなく、魚のように潮目(トレンド)を読む目が必要だということです。魚の目を養うためには、現場を回って歴史をよく学ぶことが有効です。すべてが歴史どおりになるわけではないので、歴史に現場の状況を照らし合わせるのです。このようなことを心掛けることで、トレンドを読む目を養うことができますので、皆様も倒産の憂き目に遭うことなく、会社を成長させるために、ぜひ実践してみてください。

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2009年9月15日 (火)

「クリアランドプロジェクト(カンボジア地雷除去)報告」

8月27日卓話要旨
対人地雷の除去に関する特別委員会常任委員 村瀬 泰雄氏

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 1999年に始まったカンボジアの地雷除去を目的とするクリアランドプロジェクトは、来年2月に終結します。10年を経た今の気持ちを表すと、「継続は力なり」という言葉になろうかと思います。各方面の皆様に理解していただくまでは苦労が多く、「奉仕とは何か?」ということを度々考えさせられましたが、こうしてやってきたことが現地で役立っているのを見ていると、嬉しい気持ちでいっぱいになります。活動を始めた10年前に年間5000人であった犠牲者は昨年240人となり、交通事故による死亡者のほうが多くなりました。これは、官民一体となって地雷の除去を進めた結果ですが、地雷を除去したことで子供たちが小学校に通えるようになり、教育が行き届くことで得られた結果でもあります。
 今、私は特別委員会の常任委員として活動していますが、当初から地雷に関心を持っていたわけではありません。地区の国際奉仕委員長になったことで自動的に地雷の委員になったというのが実際のところですが、当時熱心にこの活動に取り組んでおられた徳増さんから、「逃げずに手伝ってくれ」と言われたことに加え、現地を訪れて実際に被害にあった子供たちを見てからは、「何とかお手伝いをしていかなければ」という思いを強く持つようになりました。
 戦争が終わって二十数年もたった今、どうして地雷が一般市民を苦しめているのか、どうして一つずつ地雷を処理しなければならないのか、私も現地を訪れるまでは理解していませんでした。例えば空中で爆弾を爆発させて、その爆風で地雷を爆破させる大量処理という方法もありますが、カンボジアでは行われていません。それを行うには、まず対象地区の村人たちを移動させなければなりませんが、村長さんの命令で村人全員を避難させることができるのは先進国の話であって、社会的訓練が行き届いていないカンボジアでは、危険すぎてそういうことはできないのです。加えて、大量処理の処理率は50%にすぎず、残り50%は探知機で一つずつ探すことになりますが、地雷の破片やその他の金属が飛び散った後であるために探知機が鳴り続けてかえって厄介です。また、戦争が終わったら埋めた場所を提示することが国連の規則で決まっていますが、カンボジアの場合はでたらめに埋められていたために、どうすることもできないというのが実情です。
 最近、地雷とそれ以外の鉄片を識別する探知機がアメリカで造られて期待を集めています。日本のメーカーも映像によって識別する機械を開発しましたが、ハイテクすぎて現地の作業員が操作できませんでした。というより、1台が1200万円もしたため買うことができなかったのです。カンボジアの地雷は数年で一応の目途がつきますが、一説では、今のやり方で世界中の地雷を除去しようとすると、500年はかかるそうです。
 「おまえが実際に取るわけではないのだから、自分で行かなくてもいいじゃないか」とよく言われますが、ヘイロートラストの人たちも我々が現地を訪れていることを高く評価してくれているほか、国や社会をも動かす力にもなっているので、やはり実際に現地へ足を運ぶ必要があると考えています。我々は到達の度合いを面積で測りがちですが、除去作業を担っているヘイロートラストは面積ではなく、救った人の数で表しています。「地雷をゼロにすることはできないけれど、犠牲者をゼロにすることはできる」ということですが、私も5~6回現地を訪れて、ようやくその感覚が理解できるようになりました。
 「地雷除去は政治的な問題なので、ロータリーにはそぐわないのではないか」というご意見がありますが、カンボジアのように戦争が終結している場所には、人道的な支援が必要です。また、「製造を止めさせなければ意味がない」というお叱りも受けますが、これこそ政治的な問題で、我々は手出しができません。ロータリークラブとしては国連に働き掛けていますが、対人地雷禁止条約を批准したのは加盟国の3分の2にすぎず、中・米・露の大国が批准していないので、なかなか難しいようです。私自身は「本来後始末すべき人は誰か」と難しく考えるのではなく、「できる人がやればいいじゃないか」というおおらかな気持ちがロータリーの奉仕活動には必要だと思っています。余すところ1年となったこのプロジェクトが成功裏に終わるよう、皆様には一層のご協力をお願い申し上げます。

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「投資育成制度活用による事業承継対策」

8月20日卓話要旨
東京中小企業投資育成株式会社 部長代理 山田 正明氏

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 弊社は、中小企業の自己資本を充実することを目的に、中小企業投資育成株式会社法に基づいて昭和38年に設立されました。国が中小企業に対する施策として作ったということもあって、株主には筆頭株主の東京都をはじめ、地方公共団体や金融機関等が名前を連ねており、非常に中立的な立場を貫くことができます。
 そんな弊社には、他に類を見ない特徴が幾つかあります。社名が表しているように、当社の場合は単に投資するだけではなく、その後10年、20年と長期にわたってお付き合いを続けながら、社内に設けた研修施設で社員教育や研修を行っています。一つ目の特徴は、経営に口を挟むことが決してないということです。投資して株主になっても、経営への干渉や役員の派遣を一切行わないということが、私ども投資育成株式会社の一番大きな特徴なのです。数年前には、日本でも株主の権利を強硬に主張する人たちが現れて大きな問題になりましたが、私どもは、金は出すけれど、口は出さない株主だということです。
 二つ目の特徴は、民間のベンチャーキャピタルさんと違って、出資をしてもIPOを強要することがないことです。「ベンチャーキャピタルの草分け」と呼ばれるほど、民間のベンチャーキャピタルさんと似ていますが、唯一の違いは株式公開をしなくてもよい点にあります。
 三つ目は、経営の自主性を尊重して、中長期的に株式を保有する、「配当期待型投資」を行っていることです。もちろん企業さんが自ら株式公開を目指すとおっしゃる場合にはいろいろお手伝いしますが、基本的には投資した会社の配当金を頂いて収益としています。そのため、投資先は資本金が3億円以下(例外あり)で、配当可能利益が出ている会社に限っていますが、現状の厳しい経済情勢を加味して、今は配当可能利益が出ていなくても、将来的に安定した配当が期待できる企業に対しては、投資を行っています。
 現在930社が弊社の制度を利用しておられますが、実は初めて制度を利用される理由として最も多いのが、「事業承継を円滑に行いたいから」というものです。具体的に申し上げると、息子を後継者に決めているけれど、まだ株の9割を父親である社長が持っているというケースで、税理士さんに「息子さんに株を移動するには、5億円かかる」と言われて、相談にいらっしゃるわけです。事業の継承に際しては、事業基盤の継承と後継者の資質育成が最も大切な問題ですが、物理的な問題としては、持株比率をきちんと移して初めて事業承継が完了します。ところが、株式公開を目指すことなく、ずっと同族でやっていくことが決まっている会社の場合は特にそうなのですが、利益が出れば出るほど、そして良い資産を持っている会社ほど未上場株価が高くなって、旧商法で言う額面から比べれば、50~100倍になってしまうケースもざらにあります。資本金5000万円の会社でも、内部留保を含めて株主資本(自己資本)が10億円ある場合には、事業を継承しようとすると、資本金の20倍の10億円が必要になります。ところが、投資育成制度を使って私ども投資育成会社に第三者割当の増資を行えば、純資産はそのままの状態でも株価を下げることができるのです。こうして株価の希薄化を図った後に息子さんに移すことで、負担を大幅に軽減できるということで、多くの皆さんがこの制度を利用しておられます。
 「投資育成会社でなくても、第三者なら誰でもよいではないか」と思われるかもしれませんが、そうなると経営に対する干渉など、経営の根幹にかかわる問題が生じる可能性が出てきます。その点我々は、単に経営干渉をしない・できないだけではなく、現在の経営陣を支援する株主で、「私どもの持株比率=社長さんの持株比率だと考えていただいて結構です」と申し上げているほどです。
 もちろん同族会社でも、社長さん以外の方が半分ほど株を持っておられて、この制度を利用することに反対される場合もありますが、そんなときにはご理解が得られるように、我々も尽力いたします。いずれにしてもそれぞれの会社、それぞれのケースによって事情が違いますから、皆様が何か課題を抱えてお困りになった際には、ぜひご一報ください。そして、経営干渉のない中長期的な安定株主として、私ども投資育成株式会社を利用していただければ、幸いに存じます。

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2009年9月 1日 (火)

「李登輝元総統の謦咳に接して」

8月6日卓話要旨
会員 新 健一氏
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私は7月に台湾で李登輝元総統にお目にかかる機会を得ました。86歳になられた李元総統は、生まれ故郷に立派なオフィス兼研究所を構えておられます。今回の台湾行きは、私が所属している若手経営者の会のメンバーで計画したもので、台湾に行くなら李登輝氏にぜひお会いしたいと念願しておりましたので、非常に楽しみにしておりました。
 皆様もよくご存じのように、李登輝氏は改姓名運動によって、台北高等学校1年生の時に岩里政男という日本名に改姓されています。また、京都大学在学中には学徒出陣によって陸軍に入隊し、日本軍司令部付きの見習士官として終戦を迎えておられるため、今でも「私は22歳まで日本人だった」と公言されています。今回の面談も日本語で行われましたが、我々よりずっと美しい日本語で話されるので、驚きました。
 内容的には、9月に来日されることを念頭に置きながら、一つの中国とはどういうものなのか、それに対して台湾人のアイデンティティーはどうあるべきかということを中心に、今お考えになっていることを話していただきました。立ったまま1時間以上お話しになり、その後、私どもからの質問に答える時間も取ってくださったので、最終的に2時間半も時間を割いていただいたことになります。
 こちらからの質問に対するお答えで一番印象に残っているのは、日本人は今どうすべきかという質問に対して「頭を下げずにしっかりしろ!」と非常に強い語調で即答されたことです。李登輝氏は現在、坂本竜馬を研究しておられるそうですが、国のために命を捨てる坂本竜馬のような人がいたからこそ明治維新が起こったわけで、そういう考えを今の日本人は持っているのかと強くおっしゃっていました。
 また、今の日本の政治状況については、「政治家は官僚の言いなりにならず、リーダーシップをもってあたるべきである。それが今の日本の政治家に最も欠けている」とおっしゃっています。
 さらに、日本文化の特徴についてお尋ねしたところ、一つは自然との調和と情緒、もう一つは道徳観と高い精神性という答えが返ってきました。そして、それらが今、失われつつあることを非常に危惧しておられて、日本人はこういう良い点を持っているのだから、頑張ってほしいと檄を飛ばされています。
 特に印象深かったのは「平成維新」という言葉です。李登輝氏によると、日本は今、大化の改新、明治維新に続く3回目の変革期を迎えており、個人の心の中の意識や価値観が問われているのだそうです。
 9月に訪日される時には坂本竜馬について講演をなさるそうで、私たちに対しても「『竜馬がゆく』を読みましたか」とお尋ねになったり、竜馬の名前を挙げながら、日本人が進むべき道について話をしてくださいました。私も帰国後、何十年ぶりに『竜馬がゆく』を読み返しましたが、要するに、広い視野で国全体のことを考えて行動する竜馬のような精神を持った人がいないと、日本はこの平成維新という変革期を乗り切ることができないとおっしゃったのではないかと思います。
 とにかく、2時間半にわたる対談の間、こちらからの質問にすべて即答されるお姿に、参加者一同大変感動しました。そして、李登輝氏は単に台湾の指導者というだけでなく、現在のアジアの指導者として、最高の政治家であり、思想家であることを強く感じました。
 日本には、日本李登輝友の会を含めてたくさんのファンがいるのですが、そうではない人たちも含めて、李登輝氏の考え方には学ぶべきところが多いと改めて思っています。
 台湾には、日本の言葉や考え方はもちろん、今でも日本統治時代の建物が多数残っています。韓国がそういったものをすべて壊してしまったことを考えれば、台湾は日本による統治に功積があったことを部分的ではあっても認めてくれている、世界一紳士的な国だと言えます。それどころか、李登輝さんのように「かつて私は日本人であった」と明言されるような方が国のリーダーを務めておられたのですから、日本人はそろそろ台湾の在り方について再考すべきなのではないでしょうか。そして、日本にも李登輝氏のような政治家がぜひ現れてほしいと願っています。

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「江戸のにぎわい」

7月30日卓話要旨

文京学院大学生涯学習センター講師 吉田 豊氏
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日本は、戦後20年もしないうちにオリンピックを開催するまでに復興します。昭和40年代は元禄時代の再来ということで昭和元禄と呼ばれていますが、そもそも元禄時代とは何なのでしょうか。元禄時代は、関ヶ原の合戦から100年後の1700年代のことです。家康が作った江戸の町は、明暦の大火(1657年)で大半が焼失し、新たに道の拡幅や遊郭・寺院の移転、広場の建設が行われて、それが完成したのが元禄時代です。
 元禄時代を象徴する風景を表した「元禄花見踊」という手芸の作品があります。縦180cm、横250cmもある大作で、作者は三井総領家の奥様である三井鋹子様です。桜の木に掛けたロープに、小袖が何枚も下がっている様子が描かれています。これを「花見の小袖幕」と言い、場所を仕切る幕に代わるものです。しかし、実際には女性たちはこれで小袖の豪華さを競っていたのです。時には雨にぬれて駄目になることもありましたが、そんなときは「お釈迦になっちゃったね」と笑って済ませるほど、元禄の世は豊かだったようです。現物は三井文庫に収蔵されていますが、高級な反物を何反も切り裂いて作られていて、まさに三井の本家でなければできない作品です。ご覧になるには手続きが必要です。
 隅田川での川遊びは江戸初期から盛んで、8~9も部屋がある大きな屋形船が造られていましたが、元禄時代になると、大きな船の建造は禁じられます。それでも多くの人が屋台船で船遊びを楽しんでいたようです。屋形船といえば、元禄時代には仙台藩主の伊達網宗が、屋形船で吉原の高尾太夫をつるし斬りにして首をはねたという講談話がはやりました。これは「吉原の高尾太夫にほれ込んだ伊達綱宗が、無理やり身請けをして、船で屋敷に連れて帰ろうとしたが、太夫が言うことをきかないので、怒った綱宗が船の中で高尾をつるし斬りにした。その頭が流れ着いたのが、高尾宮のある所だった」という話です。永代橋のふもとに、太夫をまつる高尾宮という小さなお宮さんが作られていましたが、明治に入ると日銀を作るために西側に移転しました。もちろんこれは講談話ですが、実はこれにはベースとなる三つの実話が存在しています。
 一つ目は、綱宗自身に関する話です。仙台藩はお茶の水の掘割造成を割り当てられ、綱宗は現場監督として江戸にいました。しかし、神田雉子町にあった通称丹前という風俗風呂に入り浸ってしまい、あまりにも遊び方が甚だしかったため、幕府からおとがめを受けて隠居させられてしまいます。その後、4代目藩主となったのが彼の2才になる息子であったために、家老たちの実権争いが始まり、ついに伊達騒動が起こるわけです。二つ目は、実際に高尾を身請けした、姫路の殿様榊原氏の話です。大名たる者が遊女を身請けするとはけしからんということで、越後高田に国替えをさせられます。三つ目は、仙台藩の水野という御用商人の家の放蕩息子の話です。仲間と派手に船遊びをしたということで仙台藩の怒りを買い、息子は船の上でつるし斬りにされ、遺体は川に捨てられます。高尾太夫の話は作り話ですが、綱宗があまりにも遊び人だったため、これら三つの実話を混ぜ合わせて、講談が作られたのでしょう。
 当時は死んだ人が川に流れてくることが結構あったようで、辻番人に配布されていた規則集に「潮入りのときに流れ着いた死体は、棒で一度突き放して返ってこなければ、それでよい。戻ってきたときには、町内でそれなりに処理するように」とあるぐらいです。ちなみに、高尾太夫のお稲荷さんが何に効くかというと、首から上の病気だということです。
 次は浅草のお話です。浅草寺の仁王門のすぐ右側に、久米平内という人の祠がありますが、彼は剣の道に優れ、多くの人をあやめてきました。ある時、その人たちを供養しようと禅の修行を始めますが、「おれが死んだら、自分の石像を道路端に埋めて、踏みつけてくれ」という遺言をして亡くなります。しかし「踏みつける」は、いつの間にか「文つける(付文)」に変化して、多くの女性たちが願い文を持ってくるようになります。祠はいつの間にか縁結びの神様として拝まれるようになったというのですから、江戸の人たちの発想の豊かさには驚かされます。
 このように、江戸の町にかかわる面白い話はたくさんありますが、今回はこれまでにしたいと思います。

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