日本とギニア共和国の文化の違い
9月25日卓話要旨
元ギニア共和国駐日大使 ギニア日本交流協会顧問 オスマン ユーラ サンコン氏
ギニアはアフリカ大陸の西部、大西洋に面した国です。国土は本州と同じぐらいで、そこに1000万人が暮らしています。学制は日本と同じ6・3・3・4制で中学までが義務教育ですが、学校の数が少ないので、みんなが学校に行けるわけではありません。しかも、通学では10~20km歩くのは当たり前という感じです。皆さんは、アフリカではどこでもライオンやキリンが見られると思っておられるかもしれませんが、私が初めてライオンを見たのは、日本で富士サファリパークに行ったときです。あまりにも感激したので、写真を撮ってギニアの友人に送ったほどです。
現在アフリカには53の国がありますが、1869年のベルリン会議で、ヨーロッパの国々が、勝手に分割して、国境を直線で仕切った結果、一つの国にさまざまな民族が存在しています。ギニアはフランス領でしたから、今でも小学校ではフランス語を教えています。
私が初めて日本に来たのは昭和47年12月です。当時ギニアは日本に大使館をつくっていませんでしたが、「優れた工業国である日本は、将来的にギニアにとって大切な国になるだろう」ということで、大使館を新設することになったのです。ギニアは地下資源に恵まれ、鉄鉱石の産出量はオーストラリアに次いで世界2位ですし、ボーキサイト、アルミナのほか、今話題のレアメタルもたくさん採れます。
日本については何も知らずに来ましたが、羽田空港に着いたときには、あまりの寒さに驚きました。気候もさることながら、ギニアと日本では文化や生活環境が著しく違いますが、それはイスラム教によるところも大きいようです。イスラム教では、あんなにおいしい豚肉を食べてはいけないと言っていますし、ラマダンのときは4週間にわたって朝5時から午後6時まで断食をしなければなりません。しかも1日5回もお祈りをするのですから、大変です。また、イスラム教は一夫多妻制を認めており、男性は妻を4人まで持つことができます。私自身も父に奥さんが3人いて、私は22人兄弟の12番目として育ちました。ちなみに父は非常に厳しい人で、私たちは父から、「分かち合うこと、譲り合うこと、許し合うこと、感謝の気持ちを持つこと」を教えられました。また、「自分でバルカ(善行)を探しなさい」ということもよく言われましたが、これは「親が生きている間、善行を積み重ねていれば、親がいなくなったとき、貯金と同じように、いつか自分のために使うことができる」ということでした。
また、日本人とギニア人では、体のつくりが随分違います。来日当時、私の視力が7.0だったことは有名な話ですが、これは電気がなかったので、夜に星を数えて遊んでいたからだと思われます。歯も丈夫で、私の母は83歳で亡くなりましたが、歯は全部元気でしたし、私も来年還暦を迎えますが、虫歯は1本もありません。ギニアでは、果物以外に甘いものを口にする機会がないので、虫歯にならないのでしょう。しかし、医療という点では遅れており、アフリカでは46%の子供たちが5歳までに亡くなっています。
私は息子たちに、「大和」と「武蔵」という名前を付けるほど、日本が好きです。特に古くから日本人が受け継いでいる義理人情が大好きで、来日してからずっと下町を選んで住んでいます。私の師匠である浅香光代さんから、「昔、下町では家に鍵をかけていなかった」と聞き、「ギニアと一緒だな」とうれしく思ったものです。しかし、多くの人たちが外国に目を向けるようになった結果、日本は変わってきたようです。これはとてももったいないことなので、私は日本の皆さんには、まずご自分の国が持つ文化や歴史の宝物を認めていただきたいと思います。外国の文化ややり方に興味を抱くのはそれからでも遅くないのではないでしょうか。
最近は、アフリカにも中国や韓国の製品が出回るようになりましたが、ギニアの車は75%が日本製ですし、ギニアに持って帰るお土産で最も喜ばれるのは、秋葉原で買った日本製品です。それだけ日本の製品・日本人は信用されているのですから、今回のアメリカ経済の混乱を受けて、次は日本が世界経済に革命をもたらしてくれるのではないかと、私はひそかに期待しています。麻生新総理は、キャッチフレーズとして「明るい日本」とおっしゃっていましたが、私も日本に明るさが戻ってくることを切に願っています。
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