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2008年11月28日 (金)

「東京、大阪やっぱり違う!?」

11月13日卓話要旨

産経新聞編集委員 石野 伸子氏

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私は産経新聞に入社して以来、30年以上大阪本社で仕事をしていましたが、3年前に東京本社勤務になりました。初めての東京暮らしは見聞きするものすべてが面白いことばかりで、それをコラムに書いていたものが、今年初めに『女50歳からの東京ぐらし』という本になりました。実は1カ月前に再び大阪勤務になったのですが、たった2時間半の移動でありながら、東京と大阪はずいぶん違います。
 関西にいるときは、「歴史という点では、やはり関西でしょう」と思っていましたが、こちらに来て近現代の良さを感じさせる物にたくさん出合いました。東京には、江戸から東京になる過程で起こった歴史ドラマにつながる物や人が今でも多数残っているのです。私がそれを初めて実感したのは、お殿様の末裔という方にお会いしたときでした。大阪で30年もの間、文化部で記者を務めてきましたが、そういう方に実際にお会いすることはありませんでした。歴史的に見れば関西の方がはるかに古いですが、現在とのつながりという意味では希薄で、その辺りはさすがに東京だなと思いました。
 私がお会いしたのは、越前松平家の第20代当主の松平宗紀氏です。氏を通じて、旧華族会館が霞会館という名前で今も脈々と活動を続けていることを知りました。霞会館は霞が関ビルの34階にありますが、そもそもあそこは旧華族会の所有地だったそうです。私は松平氏に霞会館に連れて行っていただいて、徳川様、大久保様といった方々とお会いし、大阪人としては得がたい体験をさせていただきました。現在、霞会館の活動は霞ヶ関ビル4フロア分の家賃収入で賄われており、親睦はもとより、歌会始での司会役や進行のお手伝い等をされているそうです。
 私が書いた中で最も反響が大きかったのは、ミシェランの三ツ星レストランガイドについてでした。発表されてからではとても予約できないので、ここは入るだろうと思うお店を二つ選んでお食事をいただいてきたところ、なんと二つともフレンチの三ツ星に入りました。そのときの様子を新聞に書いたら、「新聞記者たる者がそんなミーハーなことをやっていてどうするんだ」というお叱りの言葉もありましたが、半分以上は「それで結局、おいしかったのか?」というものでしたから、やはり皆さん関心を持っておられるのでしょう。結論を申し上げると、さすがに三ツ星レストランはおいしかったですから、ぜひ奥様をお連れになっていただきたいと思います。一番のお薦めは、白金台にあるカンテサンスというフレンチレストランです。オープンして2年目で、シェフは33歳と若いのですが、前衛的なフレンチが楽しめます。夜と昼と行きましたが、お昼のランチコースで十分楽しめます。
 もちろん東京は面白いことばかりではありませんでした。電車に乗ると、空いているのに入り口付近に立っている人が必ずいますが、東京の人は早く降りたいとか、早く前に進むことを第一義的に考えているからではないかというのが私の説です。
 また、私のような典型的な大阪のおばさんにとって、店員さんとのちょっとした会話は楽しみの一つなのですが、東京の店員さんは絶対に乗ってきてくれません。いつもお弁当を買っている総菜屋さんで600円のお弁当を買ったとき、横にあった白玉ぜんざいがおいしそうだったので、値段を聞くと450円とのことでした。すでに1000円札を出していたので、大阪の乗りで「白玉だんごを1個減らしてくれたら買えるんだけれど」と言いました。大阪の店員さんなら、「白玉1個100万円」とか何とか必ず返してくれるのですが、店員さんからは何の言葉も返ってきませんでした。
 引っ越しのときはもっと顕著で、同じ業者さんでも東京のおにいさんたちは必要最低限のことしかしゃべらなかったのに、大阪のおにいさんたちは会話が多かったので、こちらもリラックスできました。バイト生ですら、それだけ違いがあることに改めて驚いた次第です。
 東京への一極集中によって、この数年で大阪は地方都市の一つに成り下がってしまいましたが、そんな中で私としては、大阪のおばさんの頑張りを記事に表わしていきたいと決意を新たにしているところです。

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ロータリー財団月間に因んで

11月6日卓話要旨

Small08116_005 会員 清水 宣夫君

ロータリー財団については、「何をやっているのか分からない。われわれには全然還元されていない」と思われている方がほとんどではないでしょうか。私もその一人でしたが、先日勉強会に出席してきましたので、そこで学んできたことをお話しします。
 まず、財団のお金の流れですが、ロータリー財団の収入には、年次寄付・恒久寄付それに特別寄付があります。年次寄付は皆様が年間100ドルを出しておられるもので、恒久寄付はベネファクターやポール・ハリス・フェローや米山による寄付など、そして特別寄付はポリオのようなものです。世界中から集められた年次寄付は、合計すると年間約2億4500万ドルにもなります。日本が出しているのは1400万ドル(5.7%)ですが、高度経済成長期には30%を超えていたこともあります。長い間25%ほど出していましたが、それにもかかわらず、日本にあまり還元されていないのは、日本の発言力が弱いからだと思われます。国際ロータリーに行くと、英語圏の人はもちろん、それ以外の国の人たちも自由に英語で話していますが、日本人でそこまで話せる人は少なく、結局は言いくるめられてしまいます。
 現在、ロータリー財団では、8億ドルを基金として預けて運用しています。2006年はその運用益が1億500万ドルになりましたが、昨年はサブプライムローン問題で4400万ドルの損が出ました。今年は株が暴落していますから、昨年の倍以上の損が出るのではないかと思っています。その辺のことも公開されていますが、何しろ海外でやられていることなので、われわれにはよく分かりません。それが余計にロータリー財団を分かりづらくしているのだと思います。2580地区だけを見ると、年次寄付が40万ドル(111ドル/人)、恒久寄付が4万5000ドル(いずれも2006年の数字)です。ちなみにこれは日本の中では10番目で、第1位の2650地区は115万ドルも出しています。
 次に使う方ですが、年次寄付の半分と運用収益の半分は国際ロータリー財団が使い、残りの半分は地区活動財団の資金になります。こちらは申請すれば使うことができ、現に2580地区の場合、3万ドルの枠がありますが、日本はどこのロータリークラブも地区活動財団の資金申請をしていません。対照的に東南アジア諸国の中には、出した以上に使っている国もあり、これも英語力の差から来ているようです。英語が堪能な彼らは、上手に申請書を作ることができるのです。あるいは、日本人は人から支援してもらうことをあまり好まないという、国民性の違いもあるのかもしれません。
 また、現在財団が力を入れている活動に「寄付のチャレンジシステム」があります。これは大口寄付の場合、それと同額を寄付された団体が自力で集めれば、税額の控除が認められるという、米国の税制を有効利用するものです。ロータリー財団はビル・ゲイツ氏から1億ドルの寄付を受けたので、1億ドルを集めなければ、ビル・ゲイツ氏の節税寄付行為が実現できないのです。それで全世界にプレッシャーがかかっているのです。このように、日本と米国では寄付のシステムが違うので、この辺のことは日本人にはなかなか理解しにくいところです。
 最後に、日本のロータリー財団の公益法人化について触れます。日本のロータリー財団はNPOですが、NPO法人が法制化された直後、ものすごい数のNPO法人ができました。最も多かったのが暴力団によるもので、彼らはこれを隠れみのに使ってお金儲けをたくらんだのです。「これではいけない」と、監督検査がやかましくなりましたが、これに加えて、社団法人法の改正があり、社団法人は一般社団法人と公益社団法人に二分されました。営利活動を行わない公益社団法人は税法上の特典が受けられるということで、ロータリー財団はもちろん公益社団を目指すべく申請しています。既に経済産業省からは内諾を得ているようですが、承認されれば、来年4月からは公益法人としてスタートすることになります。公益法人になれば、われわれが出した寄付に対しても、免税措置がかなり緩やかな形で実施されるようになるでしょう。
 ロータリー財団では、このようにいろいろ免税措置を講じながら、少しずつ具体的な活動を広げていこうとしています。私自身は、まだにわか勉強ですが、今後、一生懸命勉強して、皆様から寄せられたご質問にお答えできるようにしたいと思っています。

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2008年11月14日 (金)

ニコンの生き様

10月30日卓話要旨

㈱ニコン相談役 嶋村 輝郎氏

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 日露戦争開戦当時、日本軍の装備はほとんどが外国製で、光学兵器も例外ではありませんでした。しかし、国防上の理由から国産化が急務となり、軍の呼び掛けで、官民が協力して研究を進めるようになります。その後、大正3年に第一次世界大戦が勃発し、敵国ドイツからの軍事物資の輸入が難しくなると、軍は技師をイギリスに派遣して技術を習得させ、国産化を目指しました。そんな中、光学兵器の国産化を軍から要請された三菱の岩崎社長は、東京計器を買収して会社を設立します。そして、その後も岩城硝子製作所や藤井レンズ製作所といった会社を吸収しながらできたのが、私どもの前進である日本光学工業株式会社です。
 第一次世界大戦終結後、当社は敗戦国となったドイツから8名の技術者を雇い入れるなどして、技術の習得に努めてきましたが、他の日本の科学産業分野の企業同様、ほとんどが輸入物の模倣と改良からスタートしたと言っても過言ではありません。
 当社は第二次世界大戦が終わるころには大軍需産業となり、2万5000人の従業員を抱えるまでになっていました。ところが、敗戦後はGHQの指導によって、民需企業に転換することになります。当初の計画にはカメラはなく、レンズと距離計でやっていこうと考えていたため、カメラ本体はその後細々と扱うようになりますが、鳴かず飛ばずの状態が続きます。当社がカメラメーカーとして再生するきっかけになったのは、朝鮮特需で朝鮮戦争に派遣されていた、LIFE誌のカメラマンであるダグラス・ダンカンさんの「ニッコールはドイツ製より優秀である」という一言で、それによって一気にニコンのカメラは注目を集めたのです。そんな中で誕生したのが、名機ニコンS型でした。
 その後は「カメラのニコン」としてやってきましたが、フィルムカメラの世界には限界があるということで、これに替わる柱を模索した結果、精密機械とオプティックスと電子の技術を結集して、超LSI製造装置である「ステッパー」を生み出しました。今では0.04ミクロンという精度で回路を作成するところまで来ていますが、それを正確に作るためには、0.01ミクロンの精度で機械をコントロールしなければなりません。人の毛髪の断面が80ミクロンですから、その2000分の1の精度が求められるのです。当然のことながら、温度や大気圧の変化、空気中に漂うほこりにも影響を受けるので大変です。最新の製品は1台40億円もしますが、サムスン電子やインテルといった会社は、これを10台も20台も買っていきます。さらにこの技術は、液晶パネルの応用拡大へとつながっています。
 日本は、他国から技術を輸入して、それを模倣したり改良することで産業の振興が起きてきましたが、今日では、世界レベルで技術をリードしていく知能を養うことが何より大切なのです。かつてドイツの技術者は、ドイツが不況のときに日本の要請に応じて来てくれましたが、同様に日本の国が不況に陥れば、優秀な技術者は中国等の発展途上国に行って、仕事をすることになるでしょう。現に、私どもの卒業生の中には、韓国や中国に高待遇で招かれて行っている人がいます。
 前述のステッパーは、製品化に際して独自の技術を駆使したので、私どもはかなり厳重に特許を固めていました。その結果、2000年にオランダの競合企業を相手に起こした特許訴訟において、日本企業にしては珍しく勝つことができたのです。ちなみに、この種の訴訟では、「いかに優秀な弁護士を採用するか」も、一つのポイントと聞きます。弁護士間の力関係と言いましょうか、「あの弁護士には勝てない」と始まる前にあきらめて、和解してくることがあるようです。特にアメリカの場合はそれが顕著なので、多少お金がかかっても、良い弁護士を雇うことが大切です。
 さて、歴史的に見ても、輸入から始まったわが社の技術振興ですが、日本から発信する技術を培って、それを商品化して商売をしていくことを原点にするという点は、今後も変わりません。世間一般から見ると、当社はいかにも商売下手な会社に写るかもしれませんが、われわれは、他社にまねされることのない、日本を代表する技術を培って、それを商売にしていくというやり方を変えず、これからも続けていきたいと思います。皆様におかれましては、これを機会にニコンという会社をご理解いただき、ニコンならびにその製品を愛していただければ幸いに存じます。

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2008年11月 7日 (金)

激動する内外事情

10月16日卓話要旨
Small081016_004 鈴木政経フォーラム代表 鈴木 淑夫氏

サブプライムローン問題が出てきたのは昨年の7月末です。アメリカ経済は10年以上もの間、住宅価格の値上がりに支えられ、住宅投資と個人消費が進んできました。住宅価格は、ピーク時の2006年には1994年の3倍になり、典型的な資産バブルが発生していたわけですが、当時これをバブルとして警告する学者は少数でした。しかし、さすがに行き過ぎ感を感じたFRBが誘導金利を少しずつ上げていった結果、成長率は2006年をピークに減速してきます。それに伴い、住宅価格が下がり始めたのが昨年です。当然のことながら、真っ先に音を上げたのはサブプライムローンを利用していた低所得層の人たちでした。
 本来サブプライムローンの焦げ付きだけであれば、ここまで大きな問題にはなりませんでしたが、銀行がそれを証券化して売っていたため、被害はそれを買った投資銀行や生命保険会社等に及び、その連中が他のデリバティブも手広く扱っていたことで、被害は限りなく拡大しました。
 投資家たちは、保有している金融商品にどれだけサブプライムローンが入っているか分からないために不安に感じますが、格付け会社さえも今はお手上げの状態です。資本市場のプレイヤーたちが互いに疑心暗鬼に陥ると、次に起こるのが金繰り倒産です。そこで世界の中央銀行は、一斉に金融市場に流動性の供給を始めました。かつて日本の金融危機では、日本の金融機関が外資系金融機関からお金を借りる際、Japan Premiumを求められましたが、今は逆に外銀プレミアムが求められています。「それ見たことか」と言いたい気分です。
 資産の値下がりが大きくなり、solvency危機の段階に入ったのが今年の夏です。生保の大物AIGが音を上げましたが、これは米国政府が助けました。次に音を上げたのが、大手証券会社でした。全米1位から5位までの各社は、銀行に変身したり、政府や他の金融機関に救済されるなどして倒産を免れましたが、唯一4位のリーマンブラザーズだけが、政府からも他の金融機関からも救済されることなく倒産してしまいます。この一件は、アメリカ政府の基準がダブルスタンダードであるという印象を与え、市場を一層混乱させました。政府は7000億ドルを救済に充てる金融安定化法を慌てて提出しましたが、あろうことかそれが下院で否決されます。日本でもそうでしたが、血税を大金融機関救済に使うことに反対する庶民感情を気にした共和党が、反対票を投じたのです。その後、法案は上下院とも通過しましたが、7000億ドルの出し方が不明確だという理由で、株価の暴落は止まりませんでした。
 先週開催されたG7では、金融システム全体の混乱を防ぐ重要な金融機関の救済が決まり、早速各国は具体的な救済案を発表しました。これを受けて、欧米の株は今週月曜日に一気に上昇し、日経平均もその翌日に14%上昇しますが、昨日から再び大きく下がり続けています。今回の下落の原因は、実体経済における景気後退を警戒してのことでした。確かに米国の景気後退は、かなり根深いものになると思われます。住宅価格の先物相場も、上がり始めるのは2011年からです。アメリカの成長のエンジンと言うべき住宅投資と個人消費が元気を取り戻すのは、恐らく2年後でしょう。アメリカが日本のように輸出頼りの経済に変わる中で、日本はこれまでのようなパターンではやっていけなくなります。
 そうは言いながら、悪いことばかりではありません。石油をはじめとする国際原料品市況が、世界中の景気が減速する中で、今後どんどん下がり続けるでしょう。日本を苦しめていた輸入原材料の値上がりはここで止まり、逆転して下がってくるはずです。もう一つ、各国は金利を下げて何とか景気を支えようとしますが、日本は下げる余地がないので、内外金利差が縮小して円高になります。日本にとっては、国際原料品市況が下がって円高が始まれば、交易条件は好転します。すなわち日本経済に大きなブレーキを掛けていたものの一つが逆転するのですから、物価が下がって、国民の実質的な購買力が回復するはずです。
 このように世界経済が沈滞する中で、次の発展の芽は必ず出てきます。これからの日本は、内需で創意工夫しながら経済を支えていくことになりますが、世界中が元気のない時代が続くことを覚悟しながら、しっかり守りを固めていただきたいと思います。

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