今、出来る事
1月29日卓話要旨
プロボウラー1期生 並木 恵美子氏
日本に女子のプロボウラーが誕生したのは、今から40年前の1969年のことです。男子はその2年前にできていましたが、女子はセミプロとして活躍されていた須田さんが同年アメリカで優勝されたことで、一気に現実に近づきました。
私がボーリングを始めたのは1968年の9月で、プロテストがあったのは翌年6月ですから、ボーリングを始めて10カ月でプロテストに合格したことになります。しかも合格した13人の中でも5番目の成績ということで、全く自分でも信じられませんでした。1期生のトップは当然のことながら、それまでずっと女子のボーリング界をリードしてこられた須田さん、2位は中山律子さんでした。
プロテストは4日間で通算48ゲームを投げて競い合うのですが、私は2日目に女王の須田さんと当たってしまいました。須田さんの周りにはマスコミの人たちがいっぱいでしたし、何よりあこがれの存在であった須田さんと投げ合うのですから、それだけで舞い上がってしまい、その日は前がよく見えない状態で投げていました。ところが、終わってみればその日のトップは須田さんではなく、私だったのです。この2日目の好成績もあって無事プロになりましたが、プロになっても自分のフランチャイズも持たず、応援してくれるスポンサーすらない状態でした。ただ、当時の私は少しでも上手になることだけを目標にしていましたから、そんなことはあまり気にせず、とにかく与えられた仕事を懸命にこなして、少しでも人に認めていただけるように努力していました。
翌年3月に第1回の全日本選手権が開催されるということで、自分なりにトレーニングに励んで、何とか他のプロとのキャリアの差を埋めようと懸命に努力した結果、終わってみれば中山さんが1位で須田さんが3位、そして私が2位という驚きの結果でした。アマチュア時代も大会に出たことがなかったので、生まれて初めて表彰台に上ったわけですが、あのときの感動は決して忘れることができません。今まで36回優勝していますが、私にとって第1回全日本選手権の2位は、特別の思い出です。
そうは言っても、やはり1位と2位では大違いですから、次は優勝を狙おうと決意を新たにしました。当時は月に一度女子プロによる月例会があったので、照準を4月の月例会に合わせ、大会が開かれるボーリング場に毎日行って頑張った結果、須田さんに競り勝って優勝することができました。その後も月例会は毎月ありましたが、それから2カ月間、須田さんと中山さんがアメリカに行かれるということで、私に連勝のチャンスが巡ってきたのです。「せっかくのチャンスを生かさなければ」と思い、さらに頑張った結果、5月はもちろん6月も優勝することができました。
しかし、このときマスコミに「須田さん、中山さんがいないから勝てただけ」と書かれて、それまで一生懸命に頑張った者は認められると言われて育った私は、初めて努力だけでは認めてもらえない世界があることを知ることになります。そして迎えた7月の大会は、いよいよお二人を含め、プロとなった13人全員が揃いました。「いないから勝てただけ」と言った人たちに私の力を認めてもらうためには、勝つしかありません。そのためにやるだけのことをやって臨んだところ、私は二人を抑えて優勝したのです。「これで、本当にマスコミにたたかれることはなくなる!」と思うと、本当にうれしかったです。4連勝のあとは、5連勝目を期待するものですが、次の試合は中山さんが300を出して、見事優勝を果たされました。
こうしてボーリング歴わずか10カ月でプロになった私は、所属する場も仲間もない状態で試合に臨んできましたが、今思うと結果的にはその方がよかったような気がします。ボーリングという個人プレイの競技だから許されたことかもしれませんが、ただただ努力を続けることで、何とかここまでやってくることができました。そして今、そんな私にできることは、ボーリングの楽しさをよりたくさんの人たちに知っていただくことではないかと思っています。ボーリングは年齢を問わず、お仲間の皆さんとコミュニケーションを図ることができる絶好のツールです。これを機会に皆様がボーリング場に足を運んでくださるようになれば、うれしい限りです
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