「イニシエーションスピーチ」
6月11日卓話要旨
会員 野村 憲弘君
昨年9月に新さんのご紹介で入会させていただきました。弁護士として今年で24年目になりますが、その間17年は神田で仕事をしており、平成8年には神田小川町の交差点近くに事務所を開設しました。私と神田とのつながりはさらに古く、明治の中ごろに私の曽祖父が岐阜の大垣から出てきて、神田錦町に落ち着いたときから始まります。曾祖父は旅館を経営して関東大震災で焼けたり、ガレージをやったりいろいろしていたようですが、曾祖父、祖父母、父と叔父たちが東京大空襲まで錦町に住んでいました。その後も昭和50年ころに土地を手放すまで、祖父・父が経営する会社が錦町にあり、父の会社はその後も神田エリアにあったので、私自身は練馬の豊島園で育ちましたが、餃子と言えばスヰートポーヅですし、ケーキはエスワイルというように、神田に大きな影響を受けて育ちました。
家族は家内と子供が二人です。家内は理工学部出身で、日本電気で半導体の仕事をしています。中学3年生の長女は、学校では弓道部に所属、長男は小学校5年生で、現在受験の準備で家族皆が結構大変です。自宅は田園都市線の宮崎台です。
私は昭和34年生まれで、今年50歳になります。幼稚園のころまでは、調布のつつじヶ丘に住んでいて、その後結婚するまでは練馬に住んでいました。高校から慶応に入り、法学部を卒業後、司法試験に合格して、昭和61年に弁護士登録をいたしました。弁護士4年目の夏に渡米してペンシルバニア大学のロースクールで1年間勉強した後、ニューヨークの弁護士事務所に1年間、ヨーロッパの事務所に半年ほどいて帰ってきました。ニューヨーク州の弁護士資格も取得しています。
最初に入った事務所は尾崎・桃尾法律事務所といいますが、入って3年目で事務所が二つになってしまい、私はどちらについて行くかを選ばなければなりませんでした。そのときの体験は結構強烈で、それ以来私は「弁護士は所詮一人だから、いつでも自分でやっていくことができるだけの力をつけておかなければならない」と考えるようになりました。現在は倒産事件や海外取引を専門にしていると称していますが、実際にはさまざまな分野の仕事をやっています。特にお医者さん等の学会の顧問弁護士を九つほどお引き受けしている関係で、最近行われた法人制度改革には結構詳しいです。また、このところ同級生から離婚の相談を受けることが多くなり、少々閉口しています。
そもそも法律は、それが適用される地域の文化や伝統に根ざしたもので、少しもインターナショナルではありません。英米法はキリスト教の影響が強く、今でもcommon lawでは生殖を目的としない性行為は「犯罪」とされています。もちろんそれで摘発はされませんが、日本では普通のことがあちらでは普通ではないということがよくあります。時と場所に応じて正義が変わるのが法律なのです。国際弁護士の仕事は、制度・常識の違いを認識した上でそれを依頼者に説明し、依頼者のリスクを軽減するためにアシストすることです。依頼者が外国人の場合は、日本の制度・常識を説明します。例えば、某国では裁判官にわいろを贈るのが常識ですし、米国人にとっては日本の談合体質などは到底理解できません。独禁法事件は、米国では当局の摘発だけではなく、民間人による損害賠償請求訴訟がよく行われます。陪審員制ですから巨額の賠償金が認められることもありますし、弁護士費用も莫大になります。それは行政訴訟、公害訴訟、PL訴訟についても同じです。これらは、国が違えば制度や意識が全く違うということであって、どちらがよいということをお話ししているのではありません。
日本が昭和40年代までの高度経済成長の背景には、米国のようなリーガルリスクをほとんど考えなくても済んだということもあります。米国では、事業を興すときには全費用の3分の1をリーガルコストとして考えるように言われていますが、日本では恐らく5%も行かない程度ではないでしょうか。日本も90年代以降は、建前上、事前規制から事後規制にシフトしていることになっていて、法曹界としてもロースクールができたり、裁判員制度が発足したりと制度・常識が変容してきています。変化に対応しながら、あと20年は弁護士としてやっていきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
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