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2009年6月26日 (金)

「イニシエーションスピーチ」

6月11日卓話要旨
会員 野村 憲弘君

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 昨年9月に新さんのご紹介で入会させていただきました。弁護士として今年で24年目になりますが、その間17年は神田で仕事をしており、平成8年には神田小川町の交差点近くに事務所を開設しました。私と神田とのつながりはさらに古く、明治の中ごろに私の曽祖父が岐阜の大垣から出てきて、神田錦町に落ち着いたときから始まります。曾祖父は旅館を経営して関東大震災で焼けたり、ガレージをやったりいろいろしていたようですが、曾祖父、祖父母、父と叔父たちが東京大空襲まで錦町に住んでいました。その後も昭和50年ころに土地を手放すまで、祖父・父が経営する会社が錦町にあり、父の会社はその後も神田エリアにあったので、私自身は練馬の豊島園で育ちましたが、餃子と言えばスヰートポーヅですし、ケーキはエスワイルというように、神田に大きな影響を受けて育ちました。
 家族は家内と子供が二人です。家内は理工学部出身で、日本電気で半導体の仕事をしています。中学3年生の長女は、学校では弓道部に所属、長男は小学校5年生で、現在受験の準備で家族皆が結構大変です。自宅は田園都市線の宮崎台です。
 私は昭和34年生まれで、今年50歳になります。幼稚園のころまでは、調布のつつじヶ丘に住んでいて、その後結婚するまでは練馬に住んでいました。高校から慶応に入り、法学部を卒業後、司法試験に合格して、昭和61年に弁護士登録をいたしました。弁護士4年目の夏に渡米してペンシルバニア大学のロースクールで1年間勉強した後、ニューヨークの弁護士事務所に1年間、ヨーロッパの事務所に半年ほどいて帰ってきました。ニューヨーク州の弁護士資格も取得しています。
 最初に入った事務所は尾崎・桃尾法律事務所といいますが、入って3年目で事務所が二つになってしまい、私はどちらについて行くかを選ばなければなりませんでした。そのときの体験は結構強烈で、それ以来私は「弁護士は所詮一人だから、いつでも自分でやっていくことができるだけの力をつけておかなければならない」と考えるようになりました。現在は倒産事件や海外取引を専門にしていると称していますが、実際にはさまざまな分野の仕事をやっています。特にお医者さん等の学会の顧問弁護士を九つほどお引き受けしている関係で、最近行われた法人制度改革には結構詳しいです。また、このところ同級生から離婚の相談を受けることが多くなり、少々閉口しています。
 そもそも法律は、それが適用される地域の文化や伝統に根ざしたもので、少しもインターナショナルではありません。英米法はキリスト教の影響が強く、今でもcommon lawでは生殖を目的としない性行為は「犯罪」とされています。もちろんそれで摘発はされませんが、日本では普通のことがあちらでは普通ではないということがよくあります。時と場所に応じて正義が変わるのが法律なのです。国際弁護士の仕事は、制度・常識の違いを認識した上でそれを依頼者に説明し、依頼者のリスクを軽減するためにアシストすることです。依頼者が外国人の場合は、日本の制度・常識を説明します。例えば、某国では裁判官にわいろを贈るのが常識ですし、米国人にとっては日本の談合体質などは到底理解できません。独禁法事件は、米国では当局の摘発だけではなく、民間人による損害賠償請求訴訟がよく行われます。陪審員制ですから巨額の賠償金が認められることもありますし、弁護士費用も莫大になります。それは行政訴訟、公害訴訟、PL訴訟についても同じです。これらは、国が違えば制度や意識が全く違うということであって、どちらがよいということをお話ししているのではありません。
 日本が昭和40年代までの高度経済成長の背景には、米国のようなリーガルリスクをほとんど考えなくても済んだということもあります。米国では、事業を興すときには全費用の3分の1をリーガルコストとして考えるように言われていますが、日本では恐らく5%も行かない程度ではないでしょうか。日本も90年代以降は、建前上、事前規制から事後規制にシフトしていることになっていて、法曹界としてもロースクールができたり、裁判員制度が発足したりと制度・常識が変容してきています。変化に対応しながら、あと20年は弁護士としてやっていきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。

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「日本のステンドグラス」

6月4日卓話要旨
建築写真家 増田 彰久氏

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 明治政府は、近代化を目指して製鉄や造船や絹織物等の工場を造りました。官営品川硝子もその中の一つですが、明治10年に造られた品川硝子が自前で板ガラスを作り始めたのは、32年後のことですから、それ以前のガラスはすべて輸入品だということになります。
 日本のステンドグラス界をリードしてきたのは、宇野澤辰雄という人物でした。彼は政府の命令でドイツに留学し、ステンドグラスの技法を学び、日本で初めてステンドグラスを作ったのです。宇野澤は明治44年に亡くなりますが、それと入れ替わるようにアメリカから小川三知が戻ってきました。彼は静岡で代々藩医を務める家に生まれ、彼自身も現在の東大医学部を目指しますが、途中で家督を弟に譲り、自分は上野の美術学校に入って日本画の勉強を始めます。当時はフェノロサがアメリカから来るなど、西洋と日本の絵画の間で新しいものを生み出そうという機運が高まっており、彼もそれに刺激を受けて、美大を卒業した後アメリカに渡りました。そこでヨーロッパタイプのステンドグラスとは違う、アメリカタイプのステンドグラスと出会うわけです。アメリカでは、ステンドグラスがアートとして扱われていて、ランプシェードや民家の窓に取り入れられていましたが、彼はそれを日本画と結び付けた作品を作って、日本で初めてのステンドグラス作家として帰国しました。
 三知が作った作品は、北は北海道の小樽から南は九州の鹿児島まで、全国各地に残っています。小樽にあるのは、北の誉酒造の野口家が大正12年に建てた洋館の風呂場にあるステンドグラスです。京都の銀行家からお嫁さんを迎えるために建てたそうで、完成までに7年も要した立派な作品です。青森の宮越さんのお宅には、多くの作品が残っています。三知の作品は、外国のステンドグラスと比べて透き通った部分が多いですが、これは三知が日本画を習得した人だからでしょう。宮越邸には、障子をイメージした大作がありますが、窓の向こうの四季の移ろいを含めて楽しむことができるのは、三知ならではの世界です。皆様おなじみの日本工業倶楽部の中にも、入口の天井部分、階段の踊り場、大ホールにステンドグラスが入っています。また、家督を継がせた弟が医師会の理事長を務めていた関係で、神田の医師会館を新築した際には、作品を寄贈しています。現在建物は取り壊されましたが、ステンドグラスは別の場所に移されているそうです。慶応義塾大学の図書館には、和田英作が描いた原画に基づいて作った作品が残っていますが、これは三知の帰国第1作目の作品だと言われています。ただし、現在あるのは戦後復元したもので、三知の作品にしては少々平面的であるような気がします。新宿の旧小笠原伯爵邸は米軍に撤収されていましたが、今はレストランとして使われており、我々も見ることができます。建物を所有する東京都は取り壊すつもりでしたが、改築費用を負担した人に10年間無償で貸すことにしたために、取り壊しを免れました。鳩山邸にも、鳩を描いた作品等があります。また、通常ステンドグラスの作品にはサインは入っていませんが、京都の老舗旅館柊屋の作品には、三知のサインが書かれています。同じく京都の舞鶴にある割烹旅館白糸にも、障子型のステンドグラスがありますが、これは「お宝鑑定団」でものすごい値段が付いたので、それ以来ロビーに飾るようになったそうです。九州には、北九州市の炭鉱王・松本健次郎の館と、別府の聴潮閣、鹿児島の岩元邸に残っています。
 いずれも日本画を習得した三知ならではの世界を醸し出しており、まさに日本だけではなく、世界に通用する素晴らしい作品ばかりです。「日本のステンドグラスは、西洋のものをまねただけ」と言われてきましたが、西洋で生まれたステンドグラスという素材を一度中に入れて、再び日本人のセンスを出している三知のような作品があることを知っていただき、機会があればぜひご覧いただきたいと思います。
 これまで小川三知を含めて、日本のステンドグラス作家についてはほとんど知られていませんでしたが、昨年白揚社さんから『小川三知の世界』という本を出版したところ、NHKの「新日曜美術館」や「美の巨人たち」で取り上げられるようになり、知名度が一気に上がりました。「たった1冊の本で、こんなにも変わるものか」と、私自身も驚いているところです。

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2009年6月17日 (水)

「急変貌する韓国(3)」

5月28日卓話要旨
前韓国国立慶尚大学 招聘教授 新井 宏氏

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韓国では、この1年の間に実にさまざまな事が起こりました。ウォンが大暴落し、日本円に対しては半分にまでなったことはご存じのとおりですし、直近の1週間を見ても、盧武鉉前大統領の自殺、北朝鮮の核実験ととんでもないことが起こっています。
 盧武鉉政権が誕生したのは2003年のことでした。韓国は先進国と後進国の両方の側面を持っている国で、私どもから見ると驚くような行動に出ることがありますが、盧武鉉大統領はまさに後進国のメンタリティーを持った人で、先進国部分の汚さを批判することで一気に大統領まで駆け上がりました。しかし、経済に強いわけでもなかったため、韓国経済はとたんに行き詰まり、彼を支える若いスタッフたちは現実世界の中で次々と汚職にまみれていきました。
 一気に支持率が下落した彼が勝負手として打ったのが、日本叩きです。韓国では日本叩きをすればすぐに支持率が上昇しますが、行き過ぎた日本叩きは韓国の先進国としての側面を呼び覚まし、支持率は再び下落します。ほかにも、韓国は出生率や大学進学率などで先進国的な数値を示していますが、その中で、盧武鉉政権下では離婚や自殺、独居など社会的な問題が一気に噴出しました。
 ウォン大暴落の原因が、盧武鉉大統領の後進国的な政治形態であったことは間違いありません。米国が急速に金利を下げた時、韓国だけは金利を上げたので世界中が驚いたのですが、これは明らかに金利政策の失敗でした。革新系の政権ゆえにインフレに耐えることができず、不動産バブルを避けようとして金利を上げたのですが、本来弱くなるはずのウォンが維持されてしまい、世界不況の中で金利を下げざるをえなくなって、わずか数カ月でウォンは大暴落したのです。
 その結果、貿易収支が赤字に転落して経常収支も赤字になり、対外資産や外貨準備高が一気に減少したのですが、経常利益を赤字にしている要因の一つには、異常なまでの留学熱があります。米国への留学生は日本の倍以上もいるのですが、これは人口比からすると考えられない数字です。工業はどうかというと、相変わらず典型的な組み立て産業型で、完成品としての質は向上してきましたが、部品を作る中小企業はまだ育っていないため、日本や中国から調達しています。
 そんな中で登場したのが、李明博大統領でした。彼は現代建設の社長、ソウル市長という経歴を持ち、経済を建て直すべく登場しました。ところが、李明博政権でも経済がうまくいかないため、国民は既に苛立っており、与党は4月に行われた国会議員の補欠選挙で全敗しています。
 一方、盧武鉉前大統領は600万ドルという巨額の収賄容疑によって取り調べを受けましたが、韓国は昔から政争が激しい国で、権力の交代時には報復が付きものでした。500年続いた李王朝では実の親子や兄弟の間で幾度となく殺し合いが繰り返されていて、そういう風土があるからか、韓国の歴代大統領の中で、引退後まともに余生を過ごした人は一人もいません。
 盧武鉉氏はその後、自殺したわけですが、これまでも彼は勝負手を打って状況を変えてきましたから、うがった見方をすれば、今回の自殺もそれを狙ったのかもしれません。実際に、もしかすると李明博大統領に対する批判が噴出するのではないかと思われていたのですが、まさにその時、北朝鮮の核実験のニュースが飛び込んできて、その気配は一気に失せてしまいました。
 いずれにしても、李明博政権にとっては盧武鉉政権の尻拭いだけでも大変です。盧武鉉大統領が進めた北との融和策によって、約100社の企業とその人材が北に渡っていて、それらを取り戻すことは並大抵のことではできません。今回の核実験にしても、500億円もあればできるそうですから、韓国が北朝鮮に対して行ってきた年推定100億円の援助が大きく関与したのは間違いないでしょう。
 今後については、ここまでウォン安が進むと、ある意味、輸出が好調になってくると考えられます。現に自動車の輸出もどんどん増えていますから、弱かった中小企業もあるいは力を付けてくるかもしれません。その意味では日本に非常に大きな影響をもたらすことになるので、今後の動きを注視していく必要がありそうです。

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「国際的なオペラ事情の変化」

5月21日卓話要旨
会員 早川 正一君

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昨年から、米国発の金融危機が世界中を駆けめぐり、不景気な世の中になってしまいました。国際的に経済の国境がなくなってしまい、ITを始めとする科学技術の進歩が世界的に著しく、私たちの普段の生活もいつの間にか大きく変化して来ていますので、エンターテイメント・ビジネスも世界中で大きく変わってきています。 
  私の処では、毎日オペラを上演しておりますが、オペラにも流行があり、変化しておりますので、年に数回海外のオペラを視察して来ていますので、その一端をお話しします。
NYでは、メトロポリタン・オペラ(MET)の総支配人が3年前からソニークラシカの社長だったピーター・ゲルプ(55)が就任し、大改革をしました。彼が就任の5年前に観客の平均年齢を調べたら、60才で、その5年後は65才で、大変な危機を感じ、オペラが一部の特権階級のもののように社会の中で孤立であってはならないと感じ、観客の若い層へのアピールを企画しました。高い席を値上げし、安い席を大幅に値下げして、その他にオペラ上演をタイムズ・スケアなど数カ所の野外の大スクリーンで、無料公開などをしています。
 また、それだけでなく、世界中、700カ所の文化ホールや映画館に、ハイビジョンの光ファイバーで、METの公演を安く放映しています。その所為で、若年層のオペラファンが増えてきて、4000席のMETの公演が、半年以上前から完売するようになりました。尤も、METのチケットはキャンセルが効きませんが、チケットを返品すると、その額面分の所得税の税額控除の証明書が送られてきます。METでは、そのチケットを他に販売できるので、METの文化芸術に寄付したことになるからです。
 お手元に、今年3月15日のMET125周年オペラガラのことを書きましたが、そのチケット代が$125,000から、最低が$1,883です。(日本円で1,200万円から18万円)尤も、その内の91%が、文化芸術に寄付したことになり、自分の所得税から控除されますから、本人の実質負担は、僅か9%で済みます。米国発の不景気にも拘わらず、米国では文化芸術には関心が深いのです。
 英国のロイヤルオペラハウスも、METに習って、街角の野外のスクリーンでオペラを無料公開したり、ヨーロッパ中で、METのようにハイビジョンの光ファイバーで、放映しています。最近の映画館は、音響も素晴らしく、映画になると、本舞台よりアップの映像が観れて、若い層にも大変好評です。初めて接したオペラに彼らは感激して、本舞台にも興味を持つようになって来るのです。ソニーが昨年から、この一部を日本各地の映画館で放映していますから、METのライブと同様に観ることが出来ます。
  ドイツでも、音楽芸術の質の向上だけを誇るのではなく、劇場に来れない方々にも提供しようと、インターネットで全世界に放映することを今年から始めました。
 私は、日本でも文化芸術に対するこの傾向を取り入れるよう、文化庁や新国立劇場を始め、民間のオペラ団体等にも、訴えているのですが、なかなか腰を上げてくれません。と言うのも、国からの補助金に頼っている日本の税制が災いしているのです。欧米のように、一般市民からの免税寄付で文化を支えるようにしなければ、国際的でありません。日本では米国の市民の寄付の1%にも満たない状況ですし、フランスでは市民の30%が文化芸術に寄付をしているのです。英国では、市民からの寄付の30%しか補助金が出ないので、寄付の集まらない公益法人は有益性が無いから、補助金はなしです。
 「世界の常識は、日本の非常識」で、世界中がこのように、伝統文化芸術の普及に力を入れているのに、日本では無関心のようで、歯がゆくてなりません。
 昨年から、ふるさと納税制度ができ、住民税の10%まで自分の好む処に寄付すると、税金からその分控除されますので、文化芸術基本条例を施行している千代田区に寄付するような運動を開始しています。
 欧米では常識の税制が、初めて日本にも出来たのですから、大いに活用したいものです。

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