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2009年10月28日 (水)

「神宮式年遷宮」

10月15日卓話要旨
財団法人霞会館理事長 北白川 道久氏 (香取純一会員紹介)
神宮は昔から伊勢神宮として親しまれており、今も年間700万人の参拝者をお迎えしています。境内には内宮と外宮を中心に大小120のお宮があり、内宮は2000年前から皇室のご祖先である天照大神を、また外宮には天照大神にお食事を差し上げる豊受大御神をおまつりしています。神宮式年遷宮は、20年ごとに西から東へ、東から西へ、社殿はじめ一切を造り替えるもので、1300年前から行われています。次期の式年遷宮は4年後の2013年で、現在準備が進められています。
 正殿の建築様式は、本格的な稲作文化が定着した弥生時代の高床式穀倉にルーツを持つと言われています。萱葺き屋根の総ヒノキ造りで、礎石は使わず柱は直接地中に埋められています。遷宮の制度化については、神様にいつも正常なお宮に鎮座していただき、若々しい力を発揮していただく「常若」という神道特有の考え方によるのか、社殿が尊厳な姿を保つには20年が限度だからか、あるいは伝統的な技術を次の世代に継承するには20年が最適であるためか、諸説あります。
 歴史を誇る神宮ですが、国宝級の建物やお宝はさほどありません。社殿は取り壊されますし、神宝装束類も遷宮のたびに新しくなるので、ハードは常に新しく、それを作り上げるソフトは古いというパラドックスが生じているのが神宮なのです。
 1回の遷宮には、太さ50cm・長さ4mのヒノキを1万本以上使います。神宮はそれらを原木のまま調達し、小工(こだくみ)と呼ばれる大工集団が製材の段階からすべてを担っています。用材は8万点にもなり、木の癖を見抜きながら効率良く部材を取る作業は特に熟練を要します。前回の遷宮はすべての作業が終わるまでに10年を要しました。木工はピーク時には60人以上になりますが、遷宮が終わると15人程度に減ります。
 神宝は神様がお使いになる道具類で、文具、武具、馬具、紡績具、楽器などがあります。装束には身にまとう物以外に社殿を飾る調度品も含まれるので、神宝と合わせると715種約1600点となります。いずれも平安時代に書かれた神宮の諸催事を記した儀式帳の規定に沿って、その時代最高の職人や美術工芸家によって再現されますが、製作者の創作性は一切許されません。江戸時代までは日常的に使われていた技法であっても、今は人材や素材の確保が難しくなってきたため、人間国宝クラスの技術を持った人たちに作っていただいています。
 「ヒノキの耐用年数は200~300年なのに、20年ごとに貴重な材を使うのは資源の浪費である」という批判もありますが、古い社殿は1年後には解体されて神宮内で再利用されるほか、全国の神社の造営・修繕や、記念品などに再利用されています。例えば両宮の正殿に使われている棟持柱は12mほどの立派な木材ですが、これは宇治橋にある大鳥居に使われます。さらに20年後は桑名宿の渡し跡にある鳥居に使われ、その後全国の神社で使われるのが通例となっています。また、使うだけではいけないということで、神宮も80年ほど前から伊勢市内に所有している山林でヒノキを植林しています。今回の遷宮では、全用材の20%をこの植林地の間伐材で賄うことになっています。将来的には半永久的に用材の自給が可能になるでしょう。このように、神宮では遷宮の継続と自然の保護・再生という、対立した課題の双方を満足させる営みを続けているわけです。
 式年遷宮の費用は、20回目までは神宮に所属する領地から集められた神税で賄われ、11世紀末からは全国すべての土地に課された役夫工米が使われました。戦国時代には130年間中断されましたが、信長、秀吉、家康の支援で復活し、その後は徳川幕府が資金を出しています。明治維新後終戦までは国費が使われましたが、戦後宗教法人「神宮」となってからは、すべてを浄財で賄っています。遷宮は、今でも天皇陛下のご発意に従って行い、遷宮に関する重要な日程等は天皇にお定めいただいていますが、今回必要な550億円のうち、330億円は神宮が捻出し、残りの220億円については奉賛会を中心に広く浄財をお願いしていますので、宮内庁や国から出していただいているわけではありません。
 遷宮は莫大な労力と資金を要する一大プロジェクトですが、そこには日本人独特の発想と信仰の姿があったと考えられます。遷宮というシステムがなければ、途絶えてしまっていたであろう日本人が生み出した巧みで高度な技術が、狂うことなく伝承されてよみがえっていくのですから、遷宮はまさに世界に誇るべき文化遺産であると言ってよいでしょう。

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