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2012年7月18日 (水)

「バービー人形50年史」

5月24日卓話要旨
ドールコレクター 関口 泰宏氏
(佐藤 昭寿会員紹介)

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 バービー人形は、1959年、アメリカのマテル社のハンドラー夫妻によって生み出されました。しかし、最初にこれを作ったのは日本の職人たちでした。どこで作るのがよいかとアジアの国々を探し回った結果、工賃の安さだけでなく、器用でまじめな職人のいる日本が選ばれたのです。1957年から帝国ホテルの一室にミシンを持ち込んで、日本のデザイナースタッフたちと一緒に試行錯誤を繰り返して完成させたのです。
 それまで日本に仕事を依頼する人たちは、安く作ることばかりを要求してきましたが、マテル社は価格が高くなっても、良い材料と高い技術を使った製品づくりを目指していました。最初は不良品が8割も出る絶望的な状態でしたが、「日本をものづくりの国として世界に知らしめよう」という職人たちの意気込みが人形の質を上げました。結果的に価格は当時のミルク飲み人形の3~4倍になりましたが、そのデザイン性と品質の高さから、日本で作られたバービー人形はとてもよく売れました。ただし、日本の子どもたちがバービーを手にすることができたのは、それから3年後のことです。
 商品のサイズは人間の6分の1で、顔は日本人形と同じように手で描かれました。外箱は凸版印刷、洋服は横須賀メリヤス、ファスナーはYKKと、最初の10年間は洋服もすべて日本人の職人の手によって作られました。当時の日本にはまだ戦争の傷跡が残り、私の家でもパンの耳を砂糖水に浸したものをおやつとして食べていました。そんな時代に、ナイロンストッキングにハイヒールを履き、シルクの洋服を着たバービー人形は、まさにアメリカ文化を象徴する存在でした。
 現在、私は全部で3万体のバービー人形を持っていますが、そのうち2000~3000体がこの時期に日本で作られたものです。中には『なんでも鑑定団』で500万円と鑑定されたバービーもありますが、そういう値段が付くのはMade in Japanのものだけです。この時代のバービー人形は奇跡的に美しく、その後に韓国や台湾で作られたものに比べて著しく高い評価を得ています。洋服1枚で50~60万円するものもあり、「関口さん、いいのが入ったよ」と言われるときほどお金がないものなのですが、ないものが欲しくなるのが人間の常のようで、おこづかいを工面しながら無理して買ってきました。
 一昨年、銀座の松屋で開催したバービー展には、6万人の方にお越しいただきました。その後、名古屋の高島屋、大阪の近鉄デパート、広島のさいか屋、鹿児島の長島美術館と開催し、このゴールデンウイークに渋谷の西武デパートに戻ってきましたが、合計すると12万人の皆さまにご覧いただいたことになります。仕事ではなく趣味の世界ではありますが、若い方々がご覧になって、「今でも通用しそう。日本の技術ってすごいね」と言っていただくのは、とても嬉しいことです。
 ソニーやトヨタもまだ有名でなかった時代に、このような人形が日本人の手で作られていたのですから、本当にすごいことだと思います。バービー人形にとっては洋服もとても重要ですが、当時これを作っていたのは内職のお母さんたちでした。これらは今見ても驚くほど精巧なつくりで、人形業界では幻とまで言われています。ホックにしてもファスナーにしても、「おもちゃでここまでするのか」と思うほど頑丈に作られており、バービー人形がMade in Japanの商品価値を上げたと言っても過言ではありません。1960年ごろまでに100万体を生産してアメリカに送ることを目標にしていましたが、達成されたときには宮中から視察が来たという記録もあります。
 単なるおもちゃでも世界から高い評価を受けている日本の技術。われわれの世代は、そのような日本の良さを若い人たちに伝えるべきだと私は考えています。そうすることで、若者たちも明るい夢や希望を持って頑張ることができるのではないでしょうか。
 つい先日、浅草の三社祭に参加しました。今、日本は経済面では閉塞感が漂っていますが、元来日本人にはすごいパワーがあり、それは未だに衰えていないのだと感じました。加えて、東日本大震災の際にはマナーの良さと秩序立った行動で世界中を驚かせました。そんな日本人が力を合わせれば、きっと今の困難な状況も克服できるはずです。私も趣味の世界では誰にも負けないと自負していますので、バービー人形を通じて、日本の人たちに夢を与え続けたいと思っています。

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