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2016年9月20日 (火)

「帰国報告」

8月25日卓話要旨
青少年交換派遣学生 田原 瑞恵さん

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    ベルギーで過ごした1年間について紹介したいと思います。私は2015年8月21日に羽田空港を出発し、パリを経由して鉄道でブリュッセルに向かう予定だったのですが、テロの影響で鉄道が遅れたため、ホストファミリーがパリまで車で迎えに来てくれて、ようやくベルギーに到着することができました。
 ベルギーには公用語が二つあり、南北で言語圏が分かれていて、仲もあまり良くありません。私のホストファミリーは境界辺りの町に住んでいて、フランス語を話すのですが、息子はオランダ語圏の大学に通っていて、お母さんはフランス語とオランダ語と英語を話せました。しかし、お父さんはフランス語が話せず、最初の頃は私のフランス語もあまりうまくなかったので、意思疎通が大変でした。でも逆に、早いうちにフランス語を話す練習ができてよかったと思います。
 学校は生徒数が日本に比べてとても少なく、制服もなくて自由な印象でした。ベルギーは移民が多く、大陸の真ん中にあるので、先祖代々ベルギー人という人は少なく、外国人は全然珍しくないので、自分から留学生だと言わないと分かってもらえません。自分から話しかけないと、「この子は私たちに興味がないのかな」と思われて、友達になれないのです。最初はフランス語が分からなくて、授業が理解できず大変でしたが、逆にその時間は自分で持ち込んだ教材を使ってフランス語を勉強していました。
 ベルギーには三つのロータリーの地区があって、計100人以上の留学生が来ています。日本人留学生は6人いて、普段は別々の町にいるのですが、週末にはいろいろな所へ遊びに行ったりしました。ホストファミリーは結構忙しかったのですが、ホストマザーも「ベルギーはコンパクトな国で、どこにでも行けるから、ぜひいろいろな所に行ってきなさい」と言ってくれて、最初のうちは電車やバスでよく出掛けていました。
 3カ月たってホストチェンジをしました。一家は息子さんがロータリーの交換留学で日本に来ていたので日本に大変興味があり、スカイプを使って日本語やフランス語でたくさん会話しました。また、娘さんの年が近く、たくさん話せたので、フランス語のいい練習になりました。一家は親戚が多く、ロータリアンだったので、いろいろなイベントを主催してくれて、ベルギーの人たちと多く関わることができました。最初の頃、学校は大変でしたが、優しい友人に恵まれ、私もフランス語を頑張って勉強したので、友達が家に招いてくれるようになって、次第に留学生仲間よりも学校の友人や家族と過ごすことが多くなりました。
 3番目のホストファミリーは子どもが4人いて、私と同じフランス語圏の学校に通っていました。もともとはオランダ語圏の人で、私のためになるべくフランス語を使ってくれていたのですが、怒ったりするときはついオランダ語が出ることもありました。でも、フランス語で分からない言葉は説明してもらえたので、特に疎外感を感じることもありませんでした。
 このときは劇やヒップホップダンスの練習で結構忙しく、学校もテスト期間だったので、家族で出掛けることは少なかったのですが、イベントが充実していて、いい経験がたくさんできました。学校のテストでは、ロータリーから指定されているフランス語と歴史の他に、理科と数学を受けました。理科と数学は、フランス語さえ分かれば日本と同じで、勉強しやすかったからです。理系科目は言語に関係なく世界で同じことを勉強できるところがいいと思うので、私は理系に進みたいという考えが固まりました。
 ベルギーの学校は、試験の点数が50%を超えないと赤点になって、進級が危なくなるそうですが、無事半分以上取ることができて、卒業証書も頂きました。卒業後のパーティーでは、普段話したことのない子が話しかけてくれたり、持っていた旗にメッセージを書いてくれたりして、とても楽しかったです。
 夏休みに入って、帰りたくないという気持ちが強くなり、へこんで泣いたりすることもありましたが、ホストファミリーはいつも応援してくれました。大変なこともたくさんありましたが、常に頑張ろうと思えたし、ベルギーは嫌だと思ったことは一度もなかったです。それも家族や現地の方々の支えがあってのことと感謝しています。ベルギーは地形的にも民族的にも日本と対照的でしたが、自分の知らなかったことをいろいろ学べて本当によかったと思います。

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2016年9月 9日 (金)

「錦織 圭の作り方」

8月4日卓話要旨
公益財団法人 日本テニス協会 理事 橋本 有史 氏
(久保 和人会員紹介)
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    テニス選手のピークの年齢は男女で異なり、男子は28歳ぐらい、女子は24歳ぐらいといわれています。男子では錦織圭が現在26歳で、ジョコビッチはピークを1年過ぎた29歳なので、あと2年ほどの間に何とかジョコビッチを追い越してほしいと思っています。女子では最近、時速200kmのサーブを打つ大坂なおみが活躍していますが、現在18歳で、東京オリンピックのときには22~23歳なので、非常に楽しみです。
 テニスのポイントランキングシステムはしっかりできています。国際ツアーは男女とも、底辺の大会からグランドスラムまでピラミッド状に構成されており、下位の大会で必要なポイントを稼いで、上位の大会の出場権を得る仕組みになっています。
 また、大会は世界各地で開催されているので、選手は自分の体調を考えて出場する試合を選び、ポイントを稼いでいます。グランドスラムに優勝すると2000ポイントもらえますが、男子の最下位のランクの大会では優勝しても18ポイントです。
 グランドスラムと一番下層の大会に当たるサーキット、デビスカップ(男子)、フェドカップ(女子)は国際テニス連盟(ITF)が主催しますが、ツアーのポイントとなるその他全ての大会は、男子プロテニス協会(ATP)と女子テニス協会(WTA)が主催するものに限られ、国内大会はポイントに関係ありません。これらは両方とも興行団体です。日本と違い、欧米では営利目的をかなり前面に出しており、スポーツはビジネスという感覚が強いです。
 また、インターナショナル・マネジメント・グループ(IMG)という世界最大のスポーツマネジメント会社があって、錦織圭や国枝慎吾、浅田真央らが所属しています。ここが選手の出演料やスポンサーとの交渉を全て担っているので、テニス協会が資金集めをするために錦織の写真を1枚使うにしても、IMGの許可が要ります。IMGが持っているニック・ボロテリーテニスアカデミーでは世界的なテニス選手を多く育てていて、錦織はジュニアの時代からここのキャンプに預けられ、世界中の大会を回っていました。
 世界レベルの選手を育成するには、テニスの普及から強化までの一貫した指導システムを作ることが必要です。小学生の競技人口を増やし、育成・選抜して最終的に世界へ出すシステムを確立できれば、どのスポーツでも世界的な選手は自動的に出てくると思います。
 もう一つは、日本中で選手がばらばらに動いているのではなく、強い選手を集めて、育成のノウハウを集積し、それをまた地方の指導者へと発信していくための拠点をつくることが重要です。その役割を期待されているのが、8年前に赤羽にできたナショナルトレーニングセンター(NTC)です。NTCにはいろいろな競技のアスリートが集まるので、横の関係でお互いに刺激し合うことができると思います。
 どんなスポーツ選手でも、伸ばすのは先生が3、仲間が7だといわれます。いいコーチがそばにいることも重要かもしれませんが、競い合える人がいることが大切です。今、関西、四国の高松、北海道に地域のトレーニングセンターができていますが、将来的には全国に拡大し、そこで選抜された選手がNTCに集まってくるような仕組みを構築したいと思っています。
 選手強化の資金は、基本的には文部科学省、日本オリンピック協会(JOC)、日本スポーツ振興センター(JSC)が出していますが、国のお金はレギュレーションが厳しいので、ものすごく使いにくく、少しでも間違えば不正流用となります。そこで、ソニー創業者の弟で、日本テニス協会元会長の盛田正明氏は、まずトップ選手を育てることが先だという考え方からテニスファンドを作り、個人のお金で錦織選手に集中投資をしました。盛田氏はIMGの創業者とも仲が良かったことから、IMGのアカデミーに錦織を行かせることにし、現在の彼を作ることになったのです。
 錦織が選手としてのピークを過ぎるとみられる5年後を見据え、われわれ協会が取り組まなければならない課題は、①トレーニングセンターシステムの確立、②Tennis Play&Stayという普及プログラムの推進(子ども用の軽いボール、小さいコートの普及など)、③中学における硬式テニスの普及、④スポーツ団体のガバナンス(情報セキュリティー・経理処理など)、⑤財務基盤の確立、⑥コーチやアンパイヤーなどの関連人材の養成、⑦国際大会の開催と充実だと、私は考えています。

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「鍛えること、育てること」

7月28日卓話要旨
金子ボクシングジム会長 金子 健太郎 氏
(大家 正光会員紹介)
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   私の父、金子繁治は、日本人として戦後初めてプロボクシングの東洋フェザー級チャンピオンになった人物です。リングの中では猛牛のようなインファイトで、果敢にKO勝ちをするのですが、リングを下りると真面目で敬虔なクリスチャンでした。
 父は東洋タイトルを6度防衛しましたが、網膜剥離を患い、次は世界戦というときに引退を余儀なくされました。引退後は下北沢にジムを設立し、世界チャンピオンを育てることにしました。そして、結婚して私たちが生まれ、私はジムの2階で内弟子たちと一緒に育ちました。父は家族を毎週日曜に教会に連れて行き、ボクサーたちにも「ただ強いだけでなく、心を強く持ちなさい」と教えていました。そんな父の背中を見て育った私は、中学生のときに洗礼を受けました。現在も毎週教会に行き、教会学校の校長も務めています。
 私は当初、野球部に入っていて、ボクシングにはあまり興味はありませんでしたが、ボクシングの選手たちと一緒にロードワークをしたり話したりするうちに、ボクシングの魅力が分かってきました。そして、中学3年生ごろからボクシングの練習をするようになり、高校2年生から本格的に取り組むようになりました。その後、東海大学に進学し、ボクシング部に所属しました。しかし、大学4年の最後のリーグ戦を前に視力が落ちてしまい、試合に出られなくなりました。監督から「親の跡を継ぐなら指導者になればいい」と言われ、関東アマチュアボクシング連盟の学生役員を仰せつかることになり、いろいろな大学の友人をつくることができました。
 卒業後、指導者として、これまで全日本新人王3人、日本チャンピオン7人、東洋太平洋チャンピオン3人、世界チャンピオン1人を育てました。5年前に世界スーパーフライ級のチャンピオンになった清水智信は、東京農業大学在学時に私がスカウトした選手です。たくさんの試練を乗り越えて彼は念願のチャンピオンの座を獲得しました。ただ技術が優れているだけ、スタミナがあるだけ、トレーニングの量が多いだけではなかなか世界チャンピオンにはなれません。運や人間性も関係します。父はかねてから、タイトルはもぎ取るものではなく与えられるものだと言っていました。私も選手たちにそう言っています。
 私は清水がスーパーフライ級に挑戦するとき、メールを送りました。「いよいよ世界戦当日ですね。眠れましたか。世界チャンピオンになる選手は皆この経験をしています。君がアマチュア時代に勝ったことのある名城信男君、内藤大助君、もちろん亀田兄弟も。私もやるべきことは全てやりました。さあ自信を持ってリングに上がりましょう。下りるときはチャンピオンで。君が持っているものをしっかり出せば相手は混乱します。混乱を相手にあげましょう。王座は君のものです」すると、彼はすぐに「ここ2~3日は正直、いろんな不安があり、眠れませんでしたが、昨日はぐっすり眠れました。あとは自分を信じてリングに上がるだけなので、ふっ切れました。僕を金子ジムにスカウトしてよかったと思ってもらえるように、今日は自分の持てるものを出して勝ちます」と返信してきました。私はこれを読んで彼の勝利を確信しました。
 私は鍛えること、育てることにおいて五つを基本にしています。一つ目は「怒る」と「叱る」のメリハリをつけることです。「怒る」はいっときの感情であり、教え諭すことではありません。「叱る」は相手の立場になり、己を省みることです。二つ目は謙虚さを忘れないことです。学ばなくなった指導者はもはや指導者ではありません。三つ目はよく聞くことです。選手に目的や夢を語らせ、それをしっかりと共有します。四つ目はよく褒めることです。五つ目は妥協しないことです。この子はこれでいいと思ってしまうと、そこで限界になってしまいます。そして、これらのことをコツコツと行うことです。私はよくボクサーたちに「コツコツは勝つコツだよ」と言っています。
 日本は経済的に豊かになり、ハングリーな子が少なくなってきましたが、ジムを訪れる子たちはまだまだいます。心に満たされないものがあったり、向上心があったりする証拠だと思います。ボクシングは攻防の技術を争う競技であり、決して野蛮なけんかではありません。右の頬を打たれたら、左の頬も出してあげるくらいの強い気持ちで接することで、大きな自分になれると思います。聖書にあるように、絶えず喜び、祈り、感謝することをモットーに頑張っています。

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