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2016年11月 4日 (金)

米山月間に因んで「東方の明珠」

10月6日卓話要旨
米山奨学生 周 媛 さん
(福岡 正人会員紹介)
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   「東方の明珠」には二つの意味があって、一つは香港を指し、もう一つは上海のシンボルであるテレビ塔「東方明珠電視塔」を指します。今日は、自分の故郷である上海について紹介したいと思います。
 中国には北京、天津、上海、重慶の4直轄市があります。1978年から改革開放政策をとり、経済は急速に成長しました。上海は東京と同じように、世界有数の大都市になり、今では商業、金融、工業、交通などの中心です。ビジネス・人材・文化・政治などを総合的に見た世界都市ランキングで20位、アジア6位となっています。
緯度は日本の鹿児島とほぼ同じで、四季がはっきりしていて、気候は東京と似ています。面積は東京都の約3倍で、海に囲まれており、三つの島を含みます。中央には黄浦江という川が流れています。上海という名が使われ始めたのは唐代で、海の上流、または海外ビジネス用の船がそこに出港するということです。上海の歴史は浅く、「2000年前の中国を知るなら西安、1000年前の中国を知るなら北京、100年前の中国を知るなら上海に行け」といわれます。
 多くの史跡は1800年代以降のものです。アヘン戦争が終わった後の1842年の南京条約により、上海は条約港として開港しました。それを機にイギリスやフランスなどの上海租界が形成され、日本やアメリカも租界を開きました。そして、香港の銀行や欧米の金融機関も進出し、日本とのつながりもだんだん増えました。1920~1930年代には、上海は中国で最大の都市として発展しました。中国の金融の中心となり、「東洋のパリ」とも呼ばれ、ビジネスが大いに繁栄しました。
 人口は約2500万人で、戸籍人口は1500万人、外来人口は1000万人です。戦後、近隣から移民がたくさん入ってきました。在住日本人は現在約5万人、日系企業は4500社です。平均寿命は82歳で、日本と同じく少子高齢化の問題を抱えています。
 私は、黄浦江の東側に当たる浦東新区に住んでいます。1992年に大規模開発が行われ、上海の新しい都心となっています。交通は、昔は船や自転車が使われましたが、今は車、タクシー、バス、地下鉄などです。上海トランスラピッドという鉄道があり、とても速くて高い技術を持っています。でも、住民が普段一番よく使うのは地下鉄です。今後、郊外で地下鉄が更に開発されると思います。
 上海の文化の特徴は「海派文化」です。隣の江蘇省や浙江省からの伝統文化に加え、西洋の流行文化が混ざった独自の文化です。改革開放政策後、多くの大きな文化イベントが開催され、文化施設もたくさん建設されました。クラシックコンサートや国際芸術祭、映画祭、2010年には国際博覧会も開催されました。
上海には名所がたくさんあります。例えば、洋折衷型の伝統的建築、昔の住民宅―石庫門は国の無形文化遺産に認定されました。新天地には外国人が多く集まります。食べ物は多彩で、北の方とは違って醤油と砂糖をよく使い、甘くて柔らかいのが特徴です。今の季節のカニも上海のシンボルの名物です。課題もあって、人口問題はその一つであり、まだ、環境問題、社会問題もあります。それとともに、教育、医療、住宅、就職、婚姻、戸籍などいろいろな問題も生み出します。同じ大都市に住んでも、人々または社会の格差がとても大きい。学校で学生たちの受験競争もとても激しくて、小学生もよく個別塾に通っています。大きな病院では患者がたくさん並んでいて、医師または医療資源が足りないと感じます。都心部の住宅費もだんだん高くなり、厳しい戸籍政策がとられています。
 両親は1950年代生まれで、15歳のときに文化大革命が起き、全中国社会を揺り動かした政治的、社会的な大動乱でした。文化の開放破壊や経済の長期停滞になってしまいました。そのとき、上山下郷運動(青年を対象とした徴農政策)が行われ、父も参加し雲南省に行きました。10年後に革命が終わった後、父は上海へ戻り、母と結婚して、1978年に姉が生まれました。ちょうど中国の改革開放政策が始まった頃です。1980年代の後、私が生まれました。その時、豊かな時代になりましたが、「一人っ子政策」があったので、両親は罰金を課せられました。両親を誇りに思うのは、自分たちの教育の機会が失われた代わりに、私に大いに学ばせていることと、もう一つは命を大切にする教育をしてくれたことです。
 最後に、日本のロータリー米山記念奨学会の温かい支援や、家族の理解と支持で、今まで歩むことができました。心から感謝しております。

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「『ロータリーの友』を楽しみましょう」

9月15日卓話要旨
ロータリーの友編集長 二神 典子 氏
(木下 照雄会員紹介)
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   私は30年近く、いろいろなクラブに伺ってきましたが、雰囲気が変わってきたと感じるクラブもある中で、東京神田ロータリーは昔と変わらない雰囲気が残っている素敵なクラブで、懐かしさも感じます。
 4月に開催された規定審議会で、ロータリーの規定が幾つか変更されました。3年に1度の審議会のたびに改正されて、その良しあしが盛んに議論されますが、変わらない部分もたくさんあります。その一つが、国際ロータリーの細則と標準ロータリークラブデータの中でうたわれている「ロータリーの雑誌の購読義務」です。アメリカとカナダ以外のロータリークラブの会員は『ザ・ロータリアン』、日本のロータリアンは『ロータリーの友』を購読することになっています。義務と考えずに、気に入ったところを楽しく読んでいただければと思います。
 日本には約2300、世界には3万5000のロータリークラブがあるそうです。『ロータリーの友』には、他のクラブの活動や会員について掲載していますので、活動をさらに深めたり、新しい活動を始めたりするときの参考にしていただきたいと思います。
 今年の7月号から『ロータリーの友』のサイズが少し大きくなり、A4判になりました。内容もここ1~2年で少し変わっていて、前年度からは「ロータリー・ラウンドアップ」という『ザ・ロータリアン』の記事を掲載しています。世界のロータリーのことを知る上でいいと思い、載せることにしました。
 「パズルでロータリー」も新しくスタートしました。数独とクロスワードパズルを交互に載せています。答えは必ずロータリーに関係のあるものを用意していて、解説を読むと、ロータリーの知識を増やしていただけるような仕掛けになっています。
 さらに、従来の表紙には会員が撮った写真を掲載していたのですが、今年はロータリーの活動の写真を載せるようにしました。「わがまちロータリー」といういろいろなまちを紹介するコーナーもあります。
 日本のロータリーの創設は、1920年の東京ロータリークラブが最初です。その後少しずつ増えましたが、戦時中に一度、国際ロータリーを脱会しました。戦後1地区で再スタートしましたが、1952年(昭和27年)7月1日、2地区に分割されました。
 その年の4月、1地区としては最後となる地区大会が大阪で開催されたとき、分割されて以降も情報を共有できるものを何か作ろうということになり、『ロータリーの友』を創刊することになりました。創刊号は1953年1月の発行で、創刊から63年経ちます。振り返ってみると、そのときのロータリーの活動や、日本の社会、経済、生活の状況がよく分かります。
 2020年に東京でオリンピックが開催される予定ですが、偶然にもロータリーの創立100周年と同じ年になります。そこで、前回の東京夏季オリンピックや札幌、長野の冬季オリンピックのとき、ロータリーは何をしてきたのかを見直しました。日本で開催されたオリンピックとロータリーの関わりについて、10月号で紹介しますので、私たちがオリンピックでできることを考える上での参考にしていただくといいと思います。
 皆さまにとっての面白い記事、いい記事は、一人一人違うと思います。私は、読者のほぼ全員から「面白かった、良かった」と言われる記事は、あまりいい記事ではないと考えています。ある程度の割合の方から「面白い、役に立った、良かった」と言われ、ある程度の割合の方から「つまらなかった、興味がなかった、この記事はけしからん、僕の意見と逆だ」と言われる記事が、本当に良い記事ではないかと考えています。そういう記事は、クラブの中で話題になり、次のロータリーの活動のお役に立てていただけるかもしれないからです。
 規定審議会でルールが変わるたびに少しずつロータリーは変わっていきますし、IT技術の進歩などによってロータリーの中でいろいろなことが変わっていきます。その中で、クラブがどうあるべきなのか、自分たちはどうしたらいいのかということを考える機会も多いと思います。そのとき正しい判断をしていただくために、まずは幅広い情報を知っていただくことが大事です。情報を仕入れて検討し、自分たちのオリジナリティーを考えることによって、より素晴らしいクラブになるのではないかと考えています。そのためにご活用いただける記事を提供できるように、今後とも努めていきたいと思います。

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