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2017年6月27日 (火)

「元気を回復しながらがんを治す~主役になった免疫新薬~」

6月1日卓話要旨
プルミエールクリニック院長 星野 泰三 氏

(香取 純一会員紹介)
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   小野薬品工業が開発したオプジーボが、がん免疫療法の新しい治療薬として非常に注目されています。以前、カーター元米大統領が余命宣告後、治癒率の厳しいメラノーマをオプジーボで完治されました。がん治療薬としてこうした高い効果を上げているオプジーボは、従来の薬のように体調を落として治すのではなく、どちらかというと元気になりながら治す薬です。
 また、がんが骨転移したときの治療に使われるストロンチウムなどのような以前の治療薬は、白血球が減ったり倦怠感が出たりする副作用があり、治療効果も低かったのですが、最近では前立腺がんの骨転移にのみ保険適用になったゾーフィゴという世界的に素晴らしい薬もあります。ラジウムを体内に入れて骨転移を消す治療で、ラジウム自体は放射能ですが、免疫力が上がり、元気にもなります。がん治療も2000年以降だいぶ変わってきました。
 薬のほとんどは、発売前の評判が発売後に3分の1以下に落ちるといわれます。しかし、最近は非常に有望な薬が出ています。中でもアブラキサンはすい臓がんの延命率を大幅に改善し、評価を高めました。この薬は、西洋イチイという植物を改良して開発されたもので、薬物作用を体内の必要な場所に届けるシステム(ドラッグデリバリーシステム)の効率を改善したともいわれています。
 一方、再生医療は平成24年から、許可がないとできなくなりました。医療規制の強化は再生医療や遺伝子操作を行うような治療が進んできて、従来なかったような遺伝子が次世代に伝わっていくのはまずいと考えられているからです。
 私は30年来、免疫の研究をしています。免疫療法は効果が弱いなどと言われてきましたが、免疫の力でがんが治ることは医学の教科書にも書いてあります。例えば丸山ワクチンは結核菌を処理して免疫力全体を上げる薬であり、がん自体に効くわけではありませんが、免疫神話は全く廃れていません。
 ほぼ全ての人の体に毎日何千個というがん細胞もどきができて、それが免疫で処理されているわけです。それががんの塊になってしまうと、免疫(白血球)にブレーキがかかってしまい、治りにくくなります。そういうがんと免疫の関係を発見したのが京大の本庶佑教授であり、そのブレーキを抑制する薬がオプジーボなのです。
 厚生労働省が国庫支出でがん患者1人当たりに使う年間費用は約1000万円とされ、新しい保険適用の薬は月100万円以上かかります。ところが、当初のオプジーボは約3500万円という高額な費用でした。しかし、メラノーマに続き、非小細胞性肺がん、腎がんが保険適用となり、しかも肺の扁平上皮がんに対する治療効果が高いのですから、福音を広めるためにも、厚労省は強制的に薬価を半額に引き下げたのです。
 そして、厚労省は、さらなる新薬であるMSDのキイトルーダの保険適用を承認しました。オプジーボも、キイトルーダも、免疫のブレーキを抑制する上で第一に重要な薬ですが、消化器系のがんでは第二ブレーキとして作用し、オプジーボ、キイトルーダだけでは効かない場合もあります。そのときにはヤーボイという薬もあるので、いずれは両方を保険適用する時代になると思います。
 ただし、ブレーキを解除するということは免疫が暴走することになります。アレルギーを起こすと炎症が止まらないことになってしまいます。一番恐ろしいのはアレルギー性肺炎で、放っておくと死に至ります。ただ、今は血液でアレルギーの事前予測や対処法も分かってきていて、管理していれば通常の抗がん剤ほど怖くはありません。そして、われわれが開発した、より有効性の高いペプチドワクチンと組み合わせることで、治療効果が高まります。肺扁平上皮がんでは70%以上の有効率です。
日ごとにその効果の高さが評価される反面、管理に対する要求も厳しくなっています。状況によっては入院をして安全管理をする場合もあります。
現在は、一部のがん腫のみ保険適用になっていますが、今後、適用となる疾患はさらに増え、これからのがん治療は大きく変わっていくものと思います。

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2017年6月14日 (水)

「徒然草第155段―遺言・任意後見・家族信託」

5月25日卓話要旨
宗宮 英俊 会員
(神田公証役場 公証人)
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   公証人を退任する時期に卓話の機会を得ました。若干の経験を踏まえて遺言等を巡る動向についてお話をさせて頂きます。
『徒然草』の第155段の後段では「春くれて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。・・死期はついでをまたず。死は前よりしも来たらず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、まつこと、しかも急ならざるに、覚えずして来たる。」といっています。
遺言は、ほとんどが人生の終焉を迎えるに当たって作ろうとなりますが、その時が何時になるかは計り知れないということでしょう。相続は法律で定める割合で遺産を分轄取得することになりますが、遺言は、通常その法定相続割合と異なる相続比率にするために作成されることになります。ですから、遺言は常に相続人間で不協和音を生じさせる可能性を秘めているということになります。  
公証人になったころは、推定相続人の1人、例えば長男が父親の遺言を作成したいとして相談に来る率が多くありました。遺言は、遺言をする人(被相続人)が内容を定めるのですが、相談に来る相続人の比率が高い傾向になることは容易に推測できることです。ところが、最近では遺言者自身が相談に来る率が高くなったように思います。これは、きわめて健全でいい傾向です。数年の間にも、遺言に対する認識は深まってきていると思われます。ただし、いずれにしても、遺言は、法定相続割合に比べると、配偶者・兄弟姉妹のうち誰かが得をしだれかが損をすると感じがちですので、遺言内容に不満を抱く人は、遺言に「けち」を付けたくなります。その最たる理由となるのが、遺言した当時、例えば親父はぼけていたから判断能力(遺言能力)がなかったという争いです。
現在は、高齢化社会となり、あわせて核家族化が進み、家族観も多様化しており、家族間紛争は深刻な民事紛争です。遺言は、自分自身の老後の生活設計を明確化し、自らの自由な意思による遺産処分をいわば透明化しておくことで、事後の紛争防止に役立たせようとするものといえます。その意味でも遺言は、自分の意思や判断能力がしっかりしているあいだに作成しておくべきものであるといえます。
 それから、任意後見とは、自分が認知症などになって判断能力が不十分になったときに、自分の日常生活、療養看護、あるいは財産の管理について代理権を与える委任契約です。認知症が進んでからでは契約はできないので、任意後見契約も判断能力がしっかりしているときに締結することが必要です。一方、法定後見は、民法上の制度であり、後見人に誰がなるかは裁判所が決めます。ですから、本当に「この人」に最後まで面倒を見てもらいたいと思うときは、任意後見契約を締結することになります。任意後見契約で最大の課題は、受任者(任意後見人)に適任者が得られるかどうかということです。
最後に家族信託というものについて触れておきます。いわゆる民事信託とは、私人が、自己の死亡や適正な判断力の喪失等の事態に備えて、契約又は遺言の形式による信託の設定をもって、自己の財産につき生存中又は死亡後の管理・承継を図ろうとする場合などを想定している。このような信託の利用は、自分自身、配偶者その他の親族の生活保障あるいは有能な後継者の確保による家業の維持等の目的を達成する上で有益であると考えられると説明されています。信託には、委託者、受託者、受益者がいますが、契約は委託者と受託者間で締結します。家族信託では、通常は委託者が受益者となります。信託法上、家族信託という類型があるものではなく、どのような内容の信託契約を締結するかは現在なお模索中、発展途上です。
例えば、委託者母親、受託者長女、受益者母親とする場合は、信託財産が不動産であれば、その名義は信託譲渡により長女の名義になり、長女が信託財産の管理を行い、賃料収入等の一部を受益者の生活費等として支給する、受益者(委託者)死亡により信託が終了する場合の残余財産の帰属者を受託者としておくと、信託の清算が終了すると信託不動産は受託者である長女に帰属することになります。これによって全体として税(相続税等)が節税できるかはまだ不分明です。上記の例では信託が終了すると当該不動産は長女が取得するということですから、これに不満を抱く相続人がいる可能性は常に存在します。家族信託も、上記のような形態ではそれによって相続争いが全て解消されるとは思われません。

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2017年6月12日 (月)

「花王石鹸を花王に変えた男 丸田芳郎」

5月18日卓話要旨
「花王石鹸を花王に変えた男 丸田芳郎」
明治大学 経営学部教授 佐々木 聡 氏
(河村 博会員紹介)
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   花王は、長瀬商店として明治20年に創業し、3年後に花王石鹸を発売しました。3社時代を経て、昭和29年に再統合して花王石鹸株式会社となり、昭和60年に社名を現在の花王株式会社に改めました。
 丸田芳郎は信州の生まれで、幼少期を冠着山のふもとで自然の恵みを受けて過ごしました。桐生高等工業学校(現在の群馬大学の理工学部)で応用化学と繊維化学を専攻し、卒業後は花王の研究部門で働きました。製造部門ともめたりしてなかなかなじむことができませんでしたが、昭和29年には取締役に、ニクソンショックが起きた昭和46年に社長に就任しました。
 彼が注目されるきっかけとなったのは、第一次世界大戦中にせっけんの主要原料である牛脂が輸入できなくなり、国策として推進された硬化油工業の関連の研究で認められたことでした。さらに航空潤滑油を開発し、戦争中に新しく設立された和歌山工場では工場長を務めましたが、陸軍の無理な要求に逆らうことができず、大事故を起こして13名の死者を出すという経験もしました。
 その後もさまざまな困難を乗り越え、会社の中心人物となる大きなきっかけになったのが、昭和25年のアメリカ産業視察団としての渡米でした。
 そのときに、世界を席巻していたP&Gのタイドという合成洗剤に出会い、帰国後に日本の技術陣に花王の高級アルコール系合成洗剤の技術を用いて開発させ、発売したのが花王粉せんたく(後のワンダフル)です。東京オリンピックの前年(昭和38年)にはワンダフルをはじめとする合成洗剤が普及し、その生産量がせっけんの生産量を上回りました。
 その後、彼は技術屋でありながら営業支配人となり、全国の卸店の経営者と交渉して花王の中間流通を担う花王販社をつくっていきました。これを経営用語でフォワードインテグレーション(前方統合)といいます。
 さらに、高級アルコールの原料であるやし油を確保するため、フィリピンにピリピナス花王という会社を設立するなど、東南アジアを中心に展開していきました。これを経営用語でバックワードインテグレーション(後方統合)といい、バックワードインテグレーション、生産、フォワードインテグレーションを縦につなげることをバーティカルインテグレーション(垂直統合)といいます。
 彼は社長就任後、創造性の重視、人間性の重視、消費者優先という三つの理念を導き出し、経営方針を明確に打ち出していきました。また、重層的でコミュニケーションに時間がかかる組織はよくないということで経営者層を文鎮型にし、研究開発部門も壁を取り払い円滑にしました。現場も小集団活動を導入し、さまざまなアイデアを引き出していく組織づくりをしました。それは現在も維持されています。
 さらに、あらゆる基礎科学を追究する体制を作り上げようと、幅広い基礎研究の人材を集めたことで多角化が可能になり、サニタリー商品のロリエや中性の保湿成分を使ったビオレなど、さまざまな商品やアイデアが生まれました。その後は社内のスリム化を図り、食品業界にも進出し、海外事業もさらに広く展開させていきました。P&Gなどの外資企業が参入してきたときも、自らが進出していったときも、相手を非常にきめ細かく分析し、さまざまな対応を試みました。
 若いころから能力の蓄積と発揮を繰り返してきた彼は、「創造は心の中から出てくるものであり、その場合、豊かな情緒が英知と重なってこそ真の創造性があり得ると思っている。そして、それは青年期にぶち込んでおかねばならない。その点、私は幸いした」と、創造性と情緒、英知の重要性と、虚心坦懐の観察眼を持つことの重要性を語りました。
 また、花王で初めての専門経営者であった彼が特に研究者に強調したのは、他者との競争を意識すると安物ができでしまう。そうではなく、自己を向上させて良いものをつくるのだということでした。
 彼は社員の組織能力を、研究開発だけでなく、販売分野でも発揮させて高めていきました。そして、油脂科学、界面科学、高分子科学、皮膚科学といった基礎研究を基に多角化を推進し、バーティカルインテグレーションで川上から川下まで(原料の購買から小売店頭管理まで)一貫して遂行することを可能にしました。こうした革新により、花王はせっけん屋の花王石鹸から、総合油脂メーカーの花王になれたのだと思います。

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2017年6月 6日 (火)

「お寺と戒名 ②」

5月11日卓話要旨
 藤井 城 会員
(博善(株) 代表取締役社長)
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   お寺は、運営、維持・管理、そして修行や継承と、大変苦労されています。私たちは、そうした実情をよく理解した上でお寺とお付き合いしていかなければなりません。お布施をするときに、よく「お気持ちで結構です」と言われますが、まさに気持ち、心がお寺さんと通じ合っているかどうかが大切なところです。
 人が亡くなると、菩提寺の僧侶に自宅に枕経に来てもらって仮通夜をし、通夜を行って本葬儀、それから最近はご収骨というのが一般的な流れです。皆さんの中には、お葬式で大変高額な支払いをされた経験がある方もたくさんおられると思いますが、何百万円も払ったという中には、戒名料だけでなくお勤めをしていただくための読経料やお車代、お膳料といった細かいものが入ります。大きい葬儀だと大導師がいて、脇僧という若いお坊さんが多いときには7人ほど付くことがあります。それらにかかる費用を総称してお布施といいます。従って、戒名だけの料金というのは分かりづらいのです。
 とある学者は「宗教は最高の情操教育である」と言いました。宗教とは人間として生きるための道徳的規範を基に実践するものです。仏教用語で三帰三唱(三帰依)という言葉がありますが、これは正式な仏教徒となるには仏法僧の三宝に帰依し、戒律を守ることが基本的条件であるということを意味します。戒律とは、不殺生戒(殺してはいけない)、不偸盗戒(盗んではいけない)、不邪淫戒(みだらな行為はしてはいけない)、不妄語戒(うそをついてはいけない)、不飲酒戒(お酒を飲んではいけない)ということです。仏教の在家信者やお寺さんは、この五戒を守って生活しています。
 仏法僧の三宝に帰依すると誓った人に与えられるのが戒名、浄土真宗でいう法名です。お釈迦様の弟子になるのですから信仰と修行が求められるのは当然ですが、できれば生きているうちに檀信徒となって受戒会を受け、生前戒名を付けてもらっておくとよいのではないかと思います。死んでから慌てて受戒しようとするから、足元を見られるのです。
 戒名というのは正式には2文字で、仏教徒であれば誰でももらうことができます。一般の壇信徒はその上にその人の性格や趣味、仕事などを形容する道号という2文字が付いた4字戒名が与えられ、最後に信士や信女といった仏教徒の階級を表す位号が付きます。これを普通戒名といいます。他にも、院号というのはお寺への奉仕、貢献度、本人の教養や文化的貢献を表します。これは社会的な地位や財力がなければ付きません。この場合、位号は居士・大居士となります。
 院殿号は最高の戒名といわれ、江戸時代では大名や藩主、今日では大臣や知事など、仏教への信仰が厚く、特に貢献のあった人に与えられますが、一般的には全ての宗教の戒名は道号、戒名、位号によって成り立っています。順番が入れ替わることはありません。
 位号は年齢によって変わります。流産死産だと水子、生後1歳までは嬰子・嬰女、3歳までが孩子・孩女、15歳までが童子・童女、大人になると信士・信女となります。地位が高くなると居士・大姉、その上は大居士・清大姉です。院殿や大居士は徳川や松平、足利などが授かるような戒名です。院号が付くなどして文字数が多くなると、戒名料は高くなります。
 お寺とのお付き合いの度合いや宗派によっても変わりますが、浄土真宗系の築地本願寺は大居士だと最低でも70万円、院号だと約50万円、普通戒名だと約20万円です。これでも割安で、日蓮宗の池上本門寺や浄土宗の大本山増上寺は大居士で約120万円、禅宗系の鶴見の総持寺は約200万円、護国寺は約150万円です。多少差はありますが、院号や普通戒名は大体似たような金額です。徳川にゆかりがある上野の寛永寺はかなり高額ですが、それだけ格の高いお寺だということです。
 宗派によって考え方が違うので、全てを称することは難しいのですが、居士や院号は自分から要求するものではありません。従って、普段からお寺さんときちんとしたお付き合いをしておくことが大事です。何も強い信仰を持つ必要はありません。普段からご住職と世間話ができるような関係でいればよいかと思います。
 ともあれ、戒名はその人の生き方を表し、お寺と家が続く限り残っていくものですから、子孫に対して恥ずかしくないよう、三帰三唱や五戒を保ち、利欲に走らず、良き教えの道に歩むことです。これを実践していれば、おのずと成仏の道は開かれるでしょう。

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「オフィスビルが首都直下地震で直面する使命と懸念」

4月20日卓話要旨
一般社団法人ビル減災研究所 代表理事 田中 純一 氏
(野村 憲弘会員紹介)
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    首都直下地震の被害想定は、発生時刻や震源をどう設定するかによって違ってきますが、例えば東京湾の北部でマグニチュード7.3、都心部で最大震度6強の地震が冬の夕方6時に起きたとすると、千代田区では死者273人、負傷者1万人、帰宅困難者50万人が発生するとされています。
 地域住民は、安全であればそのまま家にいて、危なければ地域によってあらかじめ決められた避難所へ行くことになっていますが、帰宅困難者は、一緒にするとかえって混乱を招くということで、避難所ではなく災害時退避場所に行くことになっています。渋谷区では避難所となる学校の門前に帰宅困難者は使えないとの表示があります。
 東京都では、帰宅困難者が600万人くらい発生し、そのうち90万~100万人は行き場がないと想定されています。この人達を帰宅難民と呼びますが、火災によって先に進めない、明石の事故のように人の下敷きになって圧死するなど、命に関わる状態になると考えられます。そこで、都心で勤めている人たちは安全な建物の中にいることを原則とし、企業には3日分の食糧備蓄を義務化しています。さらに、たまたま外にいたという人を取りあえず近所の建物のロビーなどに収容すれば、一晩や二晩どうにか過ごすことができます。
 今、こうした帰宅困難者のための一時滞在施設は、申し出れば事前に区と協定を結んで、区から補助を受けて食糧の備蓄ができます。
 ただ、東京都全体で100万人位となる帰宅難民に対し、確保できているのは約30万人分です。従って、小さなビルでもビジネスホテルでも、10人単位でも入れていただけるところを早急に増やさなければ、多くの人を救うことができません。施設をお持ちの方は、人々に手を差し伸べる使命を認識する必要があると思います。
 問題は、そこに賠償責任が出てくることです。その前に、地震対策で最も有効なのは耐震化です。建物の耐震と設備や天井の耐震は全く別で、建物は無事でも天井が落ちた事故は、東日本大震災でも随分ありました。その後、国交省は天井対策の法規制を変えましたが、設備の耐震の方はまだまだ整えられていません。
 また、復旧・救助用の特定道路に面していて、倒れると道路を半分以上ふさいでしまう高さの建物については、耐震診断を受けることが義務付けられていますが、千代田区では9棟がいまだに応じていないというのが実情です。
 そのような中で、余震が起きて二次災害で建物の中で一時滞在者が負傷すると、その損害賠償責任は誰が負うのか。民法717条では、「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償云々」とされています。ビルはこの工作物に当たります。占有者には免責措置がありますが、所有者にはありません。
 そこで、平成24年に東京都は国に対し、所有者の賠償責任を軽減する制度の創設を要請しました。その後、公的な「一時滞在施設の確保及び運営のガイドライン」が改正され、責任を軽減する考え方が追加されました。ただ、二次災害が起こりにくくすることや施設利用者から責任を問わない一筆を取るということ位しか具体的には示されていません。帰宅困難者一時滞在施設を提供する予定の多くの企業はこの一筆を取る方針で訓練しています。
私は、そのあたりをしっかり確認して一時滞在施設として提供するようアピールするとともに、民法の占有者の免責を逆手に取って、一時滞在施設を提供するときには、事前協定でその施設を一旦自治体に借りていただく形にしてはどうかと提言しています。そうすると、占有が例えば千代田区に移ります。千代田区が免責の主張をしなければ、所有者まで責任が及ばないことになります。
 最後に、サバイバルのための知恵を一つ。スマホは確かに震災直後には大変役に立ちます。しかし、FacebookやYoutubeなどはデータの消費が激しく、契約によってはあっという間に上限のデータ通信量を消費してしまい、通信速度が極端に落ちます。いざというときにそのようなことにならないよう、ぜひ事前に契約プランについて確認しておいてください。

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