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2018年10月 9日 (火)

「今、アートの領域は無限に広がる」

8月30日卓話要旨
森美術館 館長 南條 史生 氏
(井上 貴夫会員紹介)
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   私は慶應大経済学部を卒業して、銀行にも勤めたことがあるのですが、いろいろ考えて方向転換し、文学部で美術史を学び、現代美術の専門家になりました。皆さん、美術といえば古いものをまず思い浮かべると思うのですが、私はある時期からずっと新しいものばかり追い求めています。
 現在、森美術館は現代美術館と銘打っていますが、基本的には古いものも見せているのです。例えば開催中の「建築の日本展」では、日本の古い建築も随分紹介しています。しかし、常に新しい視点から作品を紹介しています。展覧会の視点は常に現代であるという考え方です。
 これは非常に面白い展覧会で、建築展としては珍しい考え方をしています。というのも、今の日本の建築は世界中で非常に強いのです。「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞の受賞者は日本人が6人で、アメリカに次いで多いです。この展覧会は、日本の伝統建築の中にはある種の特殊な遺伝子があり、それが今も引き継がれて日本の建築が世界で評価されているのではないかという仮説の下につくられています。古い建築と現代建築が一緒に登場し、似ているものを対比させているのです。
 次に始まる「カタストロフと美術のちから展」は、当館のキュレーターが、東日本大震災のことを美術の世界でもきちんと議論する場をつくった方がいいと考えて提案したものです。
 また、六本木ヒルズ10周年のときに私が提案して、森ビルでは「イノベーション・シティ・フォーラム」を毎年開いています。都市デザインやイノベーション関係者を呼んできて、未来を見据えた知的な議論を毎回しています。このように、日本が置かれている文化的状況をつかんでいくことが私のこれまでのアプローチの仕方です。
 今の時代、アートは絵画や彫刻だけではありません。境界はものすごく広がっていて、今はアートはコンセプトで定義されます。つまり、いろいろな方法でいろいろな考え方を表現したものが全てアートに入ってきます。伝統はもちろん大事なのですが、伝統と新しいものをどうやって組み合わせて発展させるかが問題な
のです。
 さて、中東ドバイの22歳の女性作家は、イスラム世界では女性が顔を見せられないことの隠喩として作品を制作していて、社会に対する不満を表現しています。このように、現代美術は社会に対する批判や不満を含みやすい表現手段なのです。
 それからもう一つ、最近よくいわれているのがダイバーシティ(社会の中の多様性)だと思います。足を失ったある若い女性作家は、自分の体をさらして写真作品を作っていて、森美術館でも展示したことがあります。一種のパフォーマンスに近い状態を作って写真に撮り、写真自体が作品になっているのですが、私は非常に可能性を持っていると思っています。アートの世界では今まで、身障者の出番はそれほどありませんでした。そういう方々に道を開こうという大きな流れが、文化庁の主導で徐々に生まれています。
 現代美術の世界では、非常に変わった作品がたくさん生まれています。落合陽一さんの作品は、デジタルテクノロジーを用い、シャボン玉の上で蝶が羽ばたくというものです。さらに人間が遺伝子工学を使って異様な生物をつくる時代が近づいていることを暗示する作品も登場しています。
 アルゼンチンのある作家は、シャーレ内の細菌のDNAに、『旧約聖書』から取った神の言葉を記号に置き換えて挿入し、作品にしました。神の言葉を宿したまま生きている生物になります。つまり、人間は将来、神となり、生物を自由に設計できる時代が来ることを表しています。
 また、iPS細胞から増殖させて作った革のコートの作品を展示したこともあります。何が面白いかというと、牛を殺さなくても革のジャンパーを作れるということです。また、レズビアンの女性同士が遺伝子操作で子どもを作ったときの状態を表現した作品も展示したことがあります。
 こうしたものは、全て現実の反映です。アートというのは、そういう現実を反映する一つのプロフェット(預言者)という性格を持っているのです。世界の現代美術はこうした状況を映す鏡でもあるのです。

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