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2019年9月11日 (水)

「芸術文化振興の新たな取り組み ちよだ芸術祭」

8月29日卓話要旨
オペラ歌手・ちよだ芸術祭プロデューサー 志田 雄啓 氏
(堀田 康彦会員紹介)
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 ちよだ芸術祭は、子どもから大人までに良質な音楽を届けることを基本的な姿勢としています。公募の合唱団やワークショップなどを開催して音楽に触れる機会を提供することと、ワテラスのロビーや和泉小学校、かがやきプラザ、かんだ連雀などいろいろな所に歌手を派遣して身近に音楽を楽しんでいただくことという、二つの事業を展開しています。
 ちよだ芸術祭が他の芸術祭や演奏会と異なるのは、発起人が芸術家であるということでしょう。これは当たり前のことではなくて、大半は行政が旗を振り、高名な先生を連れてきて文化祭や演奏会を行うパターンか、民間から盛り上がって区が助成金を出すパターンです。しかし、行政主導の場合、3年間ぐらいで助成金が切れるので、その時点で立ち消えになることが多いのです。高名な先生は地元に何の思い入れもありませんし、市民も有名な先生がいなくなるならもういいかというふうに受け入れてしまいます。一方、民間の愛好家が行政に支援をもらう場合はどうかというと、企画自体は大変素晴らしいのですが、つてがないので、良質な音楽家に出会ってさらにいい芸術祭にする部分で難航します。
 そういう点でちよだ芸術祭は、私を中心とした芸術家が発起人となり、区民の皆さんに徐々に広がって、堀田様にも協力していただいて、区の支援を頂く形でだんだん盛り上がっています。地元に根差し、ボトムアップで盛り上がっていく芸術祭として、これまで見たことのない感じで行っています。
 特徴の一つは、一緒に触れ合うところです。一般からの公募で合唱団を組織していて、稽古は10回あるのですが、そこにプロの歌手2~3人が参加しており、舞台ではプロのソリストと市民が一緒に歌います。芸術において一番良いのは、上手な人の隣で歌ったり、近くで感じたりすることです。これが芸術文化の振興で一番重要なことだと思っています。例えば、とても高名な歌手の歌唱を100m離れて聴いたところで、感動はしますが、それだけです。しかし、そこまで高名ではなくとも、素晴らしい歌手が同じ歌を5cmの距離で歌っていれば、効果は全く違うと思います。そのような思いで、ちよだ芸術祭のコンサートに臨んでいます。参加される方は面白いと思ってくださっているようで、90人ぐらい集まってだいぶ盛り上がっています。
 もう一つの特徴は、触れ合いの場を提供することです。私の経験からもぜひ推進したいと思っています。私が東京藝術大学の学生だった頃、あるパーティで歌ったところ、主催者の社長の小学3年生ぐらいの子どもが楽屋に来て、「素晴らしい歌だった」と15分ほど語ってくれたのです。それを見ていた宮田学長から「いいことをやったな」と褒めていただきました。人は一定の年齢に達すると、美しい絵を見ても演奏を聴いても、良いと思えなくなるそうです。「その子は、これから良いものを見たり聞いたりしたときに感動する気持ちを与えられた」と宮田学長はおっしゃいました。ですから、小さな力ではありますが、私は地元・千代田区でそういう機会を少しずつでも子どもたちに与えられたらと思っています。また、私は病院や養老院に行って歌う機会があるのですが、歌うと皆さん大変感動されるのを何回も見てきて、社会貢献は特にしなければならないと思いました。この二つの気持ちで事業を進めています。
 芸術祭に参加してくださっている歌手や演奏家の皆さんは、音楽的にも人間的にも大変信頼する方々で、今回の趣旨を理解して積極的に関わってくださっています。小学校に行って歌うと、やはり何か衝撃があるようで、子どもたちは目を丸くします。そういう顔を見て、帰りの電車の中では「やってよかったね」という話をされています。このように直接触れて、参加して、芸術家と市民がより密接に絡み、交流することを目標にして、ちよだ芸術祭を進めています。
 将来的には、居酒屋などに入ったときにその辺に座っている人から「この前のコンサートでは声がおかしかったね」と言われるような、いろいろな場所で音楽談議ができるような環境になれば素晴らしいと思っています。音楽談議ができるということは、それだけ音楽が好きだということだからです。
 私はちよだ芸術祭を10年は絶対に続けていきたいと思っていて、これから先、神田の街がどのように変わっていくのか楽しみです。ぜひとも皆さまのご協力をお願いできれば幸いです。

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「東京オリンピック1年前」

8月8日卓話要旨
JOC名誉会員・丸天流通グループ代表 平岡 英介 氏
(井上 貴夫会員紹介)
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 オリンピックといえば総合競技大会を思い浮かべるかもしれませんが、近代オリンピックは平和や国際協調(オリンピズム)を具現化するために復活されたものです。当時のヨーロッパは戦争中だったのですが、古代オリンピックでは大会期間中、停戦していたので、クーベルタンがそれに倣って復活させたのです。そうした大きな目的のために競技大会があるので、単にメダルを取ればいいわけではありません。フェンシングや射撃、馬術など戦に関連する種目が多いのも、戦をスポーツとして昇華させるためです。このオリンピズムを普及させることがオリンピック委員会の務めです。
 しかし、近代オリンピックでは、政治的介入やボイコットなどさまざまなことがありました。モスクワ五輪では米国の意向で西側諸国がボイコットし、続くロサンゼルスではソ連をはじめとする
東側諸国がボイコットしました。モスクワではフランスやイタリア等は参加し、イギリスも政府の命令に
反して有望な種目では出場しましたが、日本はメダル候補が何人もいたにもかかわらず、アメリカからの強い圧力で、最終的に政府から「来年からスポーツに補助金を出さない」という脅しがあり、泣く泣く参加を諦めることになりました。
 また、ミュンヘンのときにはテロもありました。そのとき国際オリンピック委員会(IOC)は中止も考えたのですが、オリンピックはスポーツの力によって国際平和、国際協調、友情を育むものなので、犠牲者のためにも競技を続けることにしました。
それから、オリンピックの歴史を大きく変えた一つがドーピング問題です。男子100mのベン・ジョンソン(カナダ)は禁止薬物の検出で世界記録を抹消され、30代の若さで亡くなった女子100m世界記録保持者のフローレンス・ジョイナー(米国)にも薬物疑惑があります。従って、命を賭けて薬物を使用しても金メダルが欲しいという考え方は間違っているとして、現在はドーピング検査が厳しく行われています。
 もう一つの大きな変化は、プロに門戸を開放したことでした。オリンピズムを普及・発展させるためにも、各競技の最高の技術や力を示すべきであり、プロを締め出すのはおかしいという意見がありました。そのため、国際競技連盟ごとにプロ解禁時期は異なるものの、ある時期からプロも出場できるようになりました。現在はゴルフやテニスもプロが出場しており、今回からボクシングも出場が認められています。
つい最近では、男女差別もオリンピズムに反するとして、ほぼ全競技で男女同数になりつつあります。前回の東京五輪のとき、女子種目は本当に限られていましたが、現在は同種目同人数となるだけでなく、男女混合種目を作るなどしています。オリンピックも時代に合わせた変遷が進んでいるのです。
 日本オリンピック委員会(JOC)ができたのは1911年です。オリンピックに出場するには、その国にオリンピック委員会がなければならないので、ストックホルム大会前に発足し、柔道で有名な嘉納治五郎が初代会長となりました。
来年の東京大会は、こんなに順調な大会は初めてという評価を頂いています。施設も順調に建設されており、ハード面では全く問題がありません。ただ、ソフト面ではセキュリティの問題があります。オリンピックに限りませんが、非常にサイバーテロが多くなっています。現在では、会場に爆弾を持っていくのはほぼ無理なので、ミュンヘン五輪のようなテロは起きないでしょう。代わりに、サイバーテロで大会システムを壊したり、変電所を狙って停電させたりする方向に変わってきました。これに関しては2年ほど前から英知を集めて、何とか防ごうと対策しています。
 もう一つ問題になっているのが暑さ対策です。選手は涼しい所に一時退避できますが、観客は涼む場所もないので、熱中症になってしまう危険性があります。そうした問題も含めて検証するため、来年に向けてプレ大会が各種目で行われています。
 ボランティアは11万人の参加が予定されています。競技関係では、8万人の募集に20万人の応募がありました。2月に締め切って、今月いっぱいまで書類選考と面接をしています。現在募集しているのは聖火ランナーです。年齢は問いません。現在は聖火が他国を回ったり、火を分けて回ったりすることが禁じられているので、約130日(東京都は15日、他県は2~3日)をかけて日本全国を回ります。もしオリンピックに関わりたい方がいましたらぜひご応募ください。

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2019年9月 2日 (月)

「神田あれこれ」

8月1日卓話要
纐纈 公夫会員 ((有)大屋書房 代表取締役)
(井上 貴夫会員紹介)

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 神田のメインストリートである靖国通りには、今から45年ほど前、京葉道路から新宿に抜ける高架道路の計画がありました。しかし、私ども書店街が高架化に反対したため、計画が中止になりました。新宿線を通す前、最初に神保町に開通したのは三田線で、そのときには高架道路のための基礎が地下に造られていました。そのため、今のところ神保町の交差点にエレベーターやエスカレーターを造るにはかなりの予算が必要らしく、新たに設置するのは難しいようです。今後も高架道路計画が再開されないようにしていきたいと思っています。
 さて、この靖国通りは江戸時代までさかのぼると、すずらん通りと同じくらいの幅だったようです。しかし、3度の拡幅を経て現在の広さが確保されるようになりました。専修大学前から俎橋(まないたばし)まで直線となったのは明治の末年で、今川小路という小さな道を貫通させて今の靖国通りができています。
 神保町1丁目1番地にある三省堂書店の並びの角から水道橋へ向かう錦華通りは、一度も拡幅が行われていません。猿楽町は、いまだに江戸時代からの姿で存在しているのです。戦前は台風が来るたびに死傷者が出るような崖崩れもあった場所なのですが、今もそのままの形で残っているという大変希少な場所でもあります。
 一方、神保町は元々1680年ごろ、神保長治という方が屋敷を構えたことから、その付近の小路が神保小路と呼ばれ、明治以降その付近一帯の名称として呼ばれるようになりました。この町は1丁目から3丁目まであり、一時期は6丁目までに区画整理する案もあったようですが、いろいろと議論された結果、元のままになったそうです。現在、靖国通りを中心に偶数・奇数で左右に分かれていますが、これは日本郵便制度の基になったフランスに倣ったからのようで、欧米の事柄を取り入れた先進的な場所だったといえます。
 実際、神田の界隈には、かつて江戸の実務を支えていた旗本が多く住んでいました。そのため、彼らが勉強しやすくなるように、徳川家康の侍講だった林道春が上野の忍が岡に建てた弘文堂という塾を湯島に移すことになりました。このことによって、神田は学問の素地となりました。
 九段下の交番の裏には、1855(安政2)年に蕃書調所がつくられました。これは、外国との交渉のために外国の書物を調べるためにつくられた学校です。その後、一ツ橋に開成所という名前となって移転しました。ちょうど現在の学士会館辺りです。そして、開成所は大学南校となり、大学東校と合併して、加賀百万石の屋敷跡に現在の東京大学が設立されました。なお、ご存じの方が少ないようなので補足しますと、その南校時代にウイルソンという先生がいて、その方が野球を日本に紹介したとされています。後楽園にある野球殿堂博物館にはかなり前から、学士会館の跡地が野球発祥の地だという表示もあったようですし、すずらん通りにある靴屋にボールの縫い目を直しにもらいに来たという記録もあったそうです。その裏付けが確認されたので、学士会館に「日本野球発祥の地」記念碑が建てられたという経緯があります。
 しかし、この神田という先進的な地域であっても、われわれが扱っている書物で見ると、少なくとも1900(明治33)年ごろまでは、庶民の生活はほぼ江戸時代のままだったようです。生活が洋風化するのは、日露戦争が終わった1905年以降のことです。江戸の町は、水運で利便が図られていたこともあり、道路の造りが大きく変わっていったのもそれ以降のことです。ただ、近代化による問題も同時に発生していたようです。例えば、現在は駿河台下の真正面が錦華通りとなっています。今は分離帯があるので問題ありませんが、かつてはメインストリートがあまりに近代化し過ぎて、大変な事故が起こるなどの弊害もあったようです。
 このように、江戸時代から地形はだいぶ変わってきています。しかし、例えば白山通りでは拡幅などによって、今後も新しい道ができる予定です。既に小学館ビルなどはセットバックしているので、拡幅化の準備はできています。神保町界隈は「古き良き東京」というイメージを抱かれますが、ただ伝統を守ってきた場所というだけでなく、かつては先進的な場所であり、現在も徐々に変化し続けている町なのです。

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「ガバナー公式訪問」

7月25日卓話要旨
 国際ロータリー第2580地区
2019~20年度ガバナー 新本 博司 氏

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 私は、東京神田ロータリークラブができた1964(昭和39)年の3月に沖縄県石垣島の高校を卒業し、上京しました。まだ飛行機も通っていない頃だったので、鹿児島まで船で渡り、そこから汽車で24時間かけて東京に向かいました。ちょうど東京オリンピック前の喧噪の時代です。千駄ヶ谷で住み込みのアルバイトをしながら専修大学に通った私にとっては、この神田神保町というのは青春時代を過ごした場所です。一生忘れられない地域であり、これからも私の人生を左右する場所ではないかと思っています。
 やはり人の縁というのは、とてもいいものだと思います。東京神田RCは55年という歴史を重ね、第2580地区の中でも伝統と重みのあるクラブです。このクラブからこれまで3名のガバナーが出ており、多田さんはパストガバナーとして、クラブの陣頭指揮はもちろん、第2580地区だけでなくRIに大きな影響力を持っておられます。私が新入会員だった頃にも、いろいろな刺激を受けました。
 私が多田さんから教えられたことの中で特に重きを置いているのは、ロータリーは何のためにあるのか、なぜロータリーができて、現在のような状況にあるのかということです。120年経とうとも、ロータリーの中核的価値は変わらず守られており、変えてはいけないものだと教えられました。これまでと変わらないことを守るとともに、ロータリーを通じてわれわれの幸せを具現化していくことを多田さんは言ってこられたのだと思います。その伝統は恐らく、以前のガバナーも伝えてこられたのではないかと思います。
 東京神田RCが3名のガバナーを輩出することにより、第2580地区全体に示唆を与えたことは否定できない事実です。そして、これからどのようにわれわれが新しい時代を担っていくかというのは、重要な意味を持つのではないかと思います。この時期に私がガバナーに指名されたのも何かの縁があると考え、クラブの活性化に少しでも寄与できればと考えています。
 120年も続くと、人も時代も変わり、価値観も変わってくるかもしれません。その中で、変わらぬものを堅持しながら時代にどう対応していくかが、われわれが等しく抱える課題だと思います。年を重ねてロータリアンとしての重みを増している方々を見ると、どのような思いを持っているのかというのは大変興味深いことです。そういう方々が後進に思いを伝えていくことは、とても重要なことではないかと思います。やはり楽しいから続けていられるのでしょうけれども、その裏にある思いを知ることが重要です。
 クラブでお互いの意見を述べ合うことによって、ロータリーに入ってよかった、幸せな人生を歩んだということがあれば、ロータリーはわれわれにとって大きな意味を持つと思います。全員が幸せだったと言えれば最高ですが、いろいろな方がいるでしょう。その中で一期一会の精神でつながって、ここに集まっているわけです。つながりを大事にしていくことは、将来に大きな影響を与えるでしょう。その縁をいかに大事にしていくのかが、いま私に与えられた課題だと思います。先輩方からの知恵もお借りできれば幸いです。
 今やわれわれの環境は、以前よりも複雑になり、毎日変化しています。例会に出席したくても出席できず、出席率が悪くなる可能性は十分あります。そこでマローニーRI会長は、出席率を高める方法として「家族を巻き込んで、例会に一緒に出席する雰囲気を作ってほしい」と言っています。要するに、何が大事かを見極めて多様性に応えていかなければ変化に対応できないということなのだと、私は解釈しました。
 マローニー会長が言っているのは、「ロータリーは世界をつなぐ」という1点です。人種や国境を超越して、心をつないで、世界をつないでいけば、平和でお互いに幸せを感じられます。家族やクラブを大事にしながら、地域のことに積極的に取り組んでいきましょう。神田という街に住み働く皆さんが、後輩にもぜひ住んでほしいという思いをつないでいってほしいのです。治安が良くて安全であれば、多くの人がこの地域にやって来て、人口減少もなくなります。神田という素晴らしい街を皆さんの力で支えてください。私も一期一会の思いを皆さんとかみしめながら取り組んでいきたいと思っています。

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